あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

「名字につづけて個人のなまえがある」っていう表記に是正するのがいかんって中日春秋がいっとる

ひとのなまえってのは名字があって、つづけて個人のなまえがある。おれのばあいだと「いわせ」があってつづいて「あきひこ」があるだ。つづけて「いわせあきひこ」ってなる。ところが国際大会で選手名をよぶときとか、英語とかの外国語のなかでなまえをあらわすときとかだと、さかさまに「あきひこいわせ」っていうふうになっちゃう。めちゃめちゃ不自然だし、不愉快でもある。ほんな現状を是正すべく正常化するっていう方針を政府がだした。よろこばしいことだ。

っておもっとったら、きのうの中日春秋に「明治以降、名字と個人のなまえを逆転させてやってきただで、ほれが伝統になっとるだ。こういうことは政府がはたをふってやるべきことじゃない」っていっとる。いやいや、あきれたもんだ。おれ、中日新聞から国民をまもる党、たちあげにゃいかんわ。

2019.9.8 中日春秋「姓、名の順にかえんでもいい」 1200-420
中日春秋 - 2019.9.8
近代以降、にほんごがおおきな危機に直面したのは二度か。さいしょは明治のはじめ、初代文部大臣の森有礼(もりありのり)が提唱した「にほんご廃止論」、ヨーロッパアメリカの列強においつくには英語の国語化が必要ってかんがえ日本語を廃止せえとは大胆なはなしである。近代化にあせっとっただらあ。けっきょく、アメリカの言語学者から外国語による近代化に成功したくにはないってたしなめられて、たちきえになった。
まあひとつの危機は終戦直后。連合国軍総司令部GHQがにほんごのローマ字かを検討しとった。漢字をおぼえるのが学生のふたんになっとるっていう理屈だったらしい。これをもちかけたアメリカ軍中佐に作家の山本有三が一括したのは有名だ。「にほんじんの文字はにほんじん自身が解決する」。
森有礼GHQにくらべやあ、さほどでもないはなしだけど、権力者がことばについてなんかいいだすとみがまえたくなる。ローマ字表記を現在一般的な「名・姓」からにほんじんらしく「姓・名」にするっていう政府方針である。ヨーロッパアメリカにあわせるのが卑屈っておかんがえなのか。にほんの伝統にそくしたかたちがいいっていうのがほのいいぶんらしいけど、ローマ字でかくばあいは姓と名をひっくりかえすっていう方法は明治以降、ひろく定着し、もはやこっちのほうが伝統だら。
「姓・名」の順で表記したいひとはもちろん、ほうせやあいい。だけど、くにがはたをふるもんだいなのか。作家のことばをかりやあ、「自身で解決する」である。
△ 2019.9.8 中日春秋「姓、名の順にかえんでもいい」

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(さんこう)