おしえごさんたちがわがあんじょうを中心とした地域にたくさんみえるし、もちろん文学作品がいまもよみつがれとることで、存在をみぢかにかんじることのできる新美南吉。たいして、都築弥厚のほうは、「実現こそせんかったけど『にほんのデンマーク』のいしづえとなった明治用水の計画をたてたひと」としかしらず、なんとなくえらいひとだっただな~っていうかんじしかなかった。あんじょうで2年まえの南吉100年祭があんなにもりあがったのに、ことし2015年の都築弥厚生誕250周年がいまいちもりあげるにかけるのは、ほんなことが原因じゃないか。
ところで、いまあんじょうし歴史博物館でやっとる都築弥厚特別展「台地をひらく、都築弥厚のゆめ」では人間都築弥厚を存分にかんじることができるだげな。学芸員のひとたちがいっしょうけんめい資料をしらべた成果だっていう。
たとえばこんなふうに紹介しとる。
- 弥厚は若いうちから商売をして、商売を成功させた?
- 弥厚の父也更が商売をはじめ、その片腕として20代のはじめには活躍していました。特に酒造業は弥厚が主に行っていたと思われ、三河で一、二を争う時期もありました。
- 弥厚は農民のため、国益のために計画した?
- 弥厚は事業として新開用水計画を推進しようとしていたので、最大の目的は、新たに開墾して出来た土地を経営することで弥厚自身が収益を上げることでした。これは商売人として当然のことで、結果的に幕府にとっては収益が上がり、農民にとっても畑が水田になったり、日照りになりがちな水田の水回りもよくなるなどのメリットもあるので、願書ではこの点を強調しています。
- 弥厚は私財をなげうって計画を進めた?
- 弥厚死後に借金の返済が滞り、そのために財産をなくしましたが、現在残っている記録からは、原因が酒造業か、新田経営か、用水計画に関するものかは分かっていません。弥厚は一流の商売人です。長期計画なので、家をつぶすことなど考えていません。また、計画には都築一族などの親類や商売仲間が計画を支援していました。
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おおっ、ほうだったのか。「農民のために私財をなげうった」っていうより、酒造業っていう事業をやっとって、さらに用水開削でできた土地の経営でもうけえっておもっとった」ってことか。なんだかおもしろそうだね。実業家、都築弥厚の実像にせまる特別展、みにいこまい!
追記 - 2015.12.24
- 開催は2015年1月にじゅうよっかにちようびまで
- 展示解説は1月に2回開催
- 1月16日(土)16:00から
- 1月23日(土)16:00から
- 安城市/特別展「台地を拓く都築弥厚の夢」|2015年10月30日