〔2015年3月17日におとずれたピースあいちの名古屋空襲展(なごやくうしゅうてん)から〕
愛知県下の空襲(くうしゅう)
愛知県とくに名古屋市は、アメリカのB29戦略爆撃の最重要目標のひとつでした。この地域は、京浜、阪神地区につぐ軍需産業の中核地域であり、全国でも最大規模の航空機の生産拠点でした。愛知の空襲(くうしゅう)は、名古屋への爆弾の総投下量が最大級で、たいへんはげしいものでした。はつ空襲(くうしゅう)をべつにして、愛知の空襲(くうしゅう)は3期にわけられます。
はつ空襲【ドーリットル空襲】1942年
1942年4月18日、にほんに接近したアメリカ海軍空母ホーネットから双発爆撃機B25が16機とびたち、ほのうち2機が、午后1時30分ごろ、名古屋を奇襲しました。陸軍病院(現在の国立病院・名古屋医療センター)、東邦ガス、三菱重工業大江工場など6か所が爆弾や焼夷弾(しょういだん)をうけました。このにほんへのはつ空襲は、爆撃隊長のなまえから「ドーリットル空襲」ってよばれます。
う~ん、はつ空襲をうけたのが1942年4月18日って、開戦の1941年12月ようかからたった4か月しかたってないぞ。