あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

宮大工展から - あんじょうし歴史博物館

きのう2015年2月15日、あんじょうし歴史博物館で宮大工展をみてきただけど、印象にのこったものをつぎにしるしとく。みにいくさんこうになや、さいわいだ。

【もくじ】
篠目八幡宮の拝殿のおにがわらあんじょう市域のおもな神社について若一王子社の拝殿の彫刻円光寺の鼓楼(ころう)古井神社(ふるいじんじゃ)保福寺(古井町)願力寺(古井町)憶念寺(古井町)展示解説のひ

篠目八幡宮の拝殿のおにがわら

おおきなおにがわらがめだつとこに展示してあった。篠目八幡宮のもんだけど、量感がありなんだかおとこっぽい。

20150215_145916 篠目八幡宮の拝殿のおにがわら
20150215_145956 篠目八幡宮の拝殿のおにがわら

うらからみるとこんなふう。なかが空洞になっとるだ。

20150215_150116 篠目八幡宮の拝殿のおにがわら

せなかにはなにやら文字がかいてある。

20150215_150242 篠目八幡宮の拝殿のおにがわら

かわらをつくったひとのなまえがかいてあるだった。よこにわかりやすいようにかきなおしたものがおいてある。天保15年っていうと1844年のことで、古井村はわが古井町のこと。瓦工の常右衛門(じょうえもん)ってのは、古井町の陶芸家で日展の審査員もつとめる待田和宏(まちだかずひろ)さんの祖先、待田常右衛門のことだげな。う~ん、芸術家の「ち」ってのはうけつがれていくもんなだ。藤原氏ってかいてあるけど、これは瓦工のならわしでほうなのっとっただけのことらしい。徳川家康がうそかまことか源氏をなのっとったようなもんだ。

20150215_150049 篠目八幡宮の拝殿のおにがわら

あんじょう市域のおもな神社について

おみやさんってのは、それぞれのむらにひとつづつあるもので、どれもおんなじようなもんだっていう認識しかなかっただけど、じつはほじゃなかった。神明社やら八幡社やら白山社やらの系統があるだ。むかしは、それぞれの系統がじぶんの勢力をのばさあと、がんばっとっただげな。ちなみに、あとででてくるけど、わが古井神社は八幡社の系統らしい。

さらに、本殿の形式も神明づくり(神明造)、ながれづくり(流造)といろいろあるとのこと。ちがいはつまからみるとわかる。神明づくりは左右対称になっとるやつで、ながれづくりはまえがわがながいやつだ。ただし、本殿はおおいでん(覆殿)ってやつにおおわれとって、めったにみれるもんじゃないっていう。な~んだ。

20150215_144255 あんじょう市域のおもな神社のかず

あんじょう市域のおもな神社のかずは、神明社10社、八幡社8社、白山社6社、天神社と八剣社が3社づつ、日吉系と市杵島社(いちきしましゃ)、熊野社、稲荷社が2社づつ、このほか15社です。東海地方には、八幡社、神明社、白山社がおおく点在しており、あんじょう市域もほの傾向と一致しております。

あんじょう市内でもっともふるい神社の建造物は、1567年に建立された大岡町の白山神社本殿、ついで1610年に建立された桜井町の桜井神社本殿です。

本殿の形式にはながれづくり(流造)、神明づくり、かすがづくり(春日造)などがあります。あんじょう市内では大半がながれづくり24社と神明づくり13社で、かすがづくりがゆいつ柿碕町の和志取神社の摂社熊野神社本殿に確認できます。また、本殿を風雨からまもるため、おおいでん(覆殿)におさめられとるばあいがおおく、ふだんはほの外観をみることはできません。

本章では、あんじょう市内に所在する神社のむなふだ(棟札)やおにがわら、建築部材を中心に、神社建築のとくちょうやほの歴史をご紹介します。

若一王子社の拝殿の彫刻

若一王子社(わかいちおうじしゃ)ってのはわが古井のとなりの西尾のおみやさんなだけど、ここの拝殿の彫刻はおっとおもったよ。せんさいだ。ほったのは尾張藩御用彫刻師の早瀬長兵衛っていうひとで、いま脚光をあびとるっていう。

20150215_144403 若一王子社の拝殿の彫刻
20150215_144550 若一王子社の説明がき

熊野信仰のひろまりにより、熊野権現が各地に勧請(かんじょう)されるなか、ほのかみのひとつである若一王子を勧請した神社です。

本殿はおおいでんのなかにおさめられており、一間社ながれづくり、ひわだぶきのたてものです。建立年代はあきらかではなく、えよう(絵様)などは古式ですけど、細部のつくりはあたらしい部分もあり、おおいでんのなかにある1806年銘のたてもののなまえ不明のむなふだが対応するものである可能性があります。拝殿は1859年の建立で、大工棟梁は市川安定、かわら師はあんじょうむらの光永、彫刻は尾張藩御用彫刻師の早瀬長兵衛です。

境内には秋葉社があります。旧社殿は1773年の建立で、もともとはあんじょうちょう秋葉西地内にありましたけど、1909年に現在のばしょにうつされました。2012年から2013年に解体、新築されました。

円光寺の鼓楼(ころう)

円光寺(えんこうじ)もわが古井のとなりの桜井のおてらだけど、この鼓楼(ころう)がめをひく。1階が門徒のための休憩所、茶所(ちゃじょ)で、ほのうえの2階がときをつたえる太鼓をならした鼓楼になっとるってのがおもしろい。県道安城桜井線をとおるとみえるだけど、あんくるバスの円光寺バス停のまんまえでもある。

20150215_145259 円光寺の鼓楼(ころう)
20150215_145218 円光寺の説明がき

形谷山と号する浄土真宗大谷派の寺院です。1604年に堀内町形谷から現在地に移転したってつたえられております。

本堂はいりもやづくり、ほんかわらぶき、ひらいりのたてもので、1762年の建立です。鐘楼(しょうろう)はいりもやづくりのたてもので、18世紀前半の建立です。山門は1809年に建立されたいりもやづくり、ほんかわらぶきの四脚門です。

鼓楼(ころう)は1849年の建立で、きりづまづくり、さんかわらぶきの下層部分と、いりもやづくり、ほんかわらぶきの上層部分をあげた重層のたてものです。下層は参拝におとずれる門徒のための休憩所である茶所(ちゃじょ)で、上層にはときをつげるあいずとして太鼓が設置されておりました。鼓楼は真宗特有のたてもので、あんじょう市内には本証寺もありますけど、茶所をそなえとるのは円光寺だけです。

古井神社

わがうじがみさんの古井神社だ。ちいさいころはここでようあそんだよ。いまじゃしんじれんけど、やねにものぼったもんだ。八幡社の系統で、江戸時代后期の建立。

20150215_151110 古井神社

古井神社は江戸時代には八幡社ってよばれておりました。

拝殿はいりもやづくり、ほんがわらぶきで、ちどりはふ(千鳥破風)とからはふ(唐破風)をそなえた装飾性ゆたかなたてものです。建立年代はあきらかではありませんけど、やねの形式や装飾から、江戸時代后期の建立とかんがえられます。本殿はおおいでんのなかにおさめられとるとおもわれます。なお、境内のひがしがわには前面を解放したおおいでんにおさめられた桜本天神社(さくらもとてんじんしゃ)があり、様式から明治期以降のたてものであるってかんがえられます。

保福寺(古井町)

古井はどういうわけかおてらがおおく、よっつもあるだけど、わがやのむかいにあるのがこの保福寺(ほうふくじ)だ。ここもこどものころはあそびばだったよ。本堂のなかでなつやすみの宿題をやったりってこともあったね。江戸時代初期につくられたもんで、このおてらがあんじょう市内最古のおてらだとのこと。いや、これはじまんすべきかすべからざるか、まようとこだ。曹洞宗のおてらになるだけど、要は檀家がすくなくてあたらしくたてかえれずにおるってことだもんね。ほういやあ、Lがた鋼でそとからささえがしてあったりしたわ。

20150215_150848 保福寺(古井町)

大亀山と号する曹洞宗の寺院です。

本堂はよせむねづくり、さんがわらぶきです。小規模な方丈六軒まどりの形式で、禅宗寺院本堂の古式な形態をよくのこしております。建立年代は不詳ですけど、細部の様式から江戸時代初期の創建当初のものがのこされておるようで、あんじょう市内の寺院建築としては最古級の本堂です。

山門はきりづまづくりの藥医門です。建立年代は不詳ですけど、様式から江戸時代后期の建立ってかんがえられます。

願力寺(古井町)

古井のふたつめのおてらとして浄土真宗の願力寺(がんりきじ)。ここもやねにのぼったことがあるだけど、ひがしのほうのけしきみて、なんか荘厳なきもちになったことをおぼえとるよ。

20150215_150837 願力寺(古井町)

松塚山と号する真宗大谷派の寺院です。1467年に行専が蓮如に帰依し、真宗に転じて寺号を願力寺としたってつたえられております。

本堂はいりもやづくり、さんがわらぶき、ひらいりのたてものです。むなふだから1797年の建立です。庫裏(くり)はおにがわらに1845年の銘文があることから、このころの建立とかんがえられます。

憶念寺(古井町)

古井のみっつめが憶念寺(おくねんじ)。ここも真宗のおてらで、わがだんなでらになるだけど、あそびにいった記憶がない。あと、古井のよっつめのおてらが法蔵寺(ほうぞうじ)っていうあんでらさんなだけど、これは展示がなかった。

20150215_150940 憶念寺(古井町)

大恩山と号する真宗大谷派(しんしゅうおおたには)の寺院です。

本堂はいりもやづくり(入母屋造)、さんがわらぶき(桟瓦葺)、ひらいり(平入)のたてものです。后年におおきな改造がくわえられており、正確な建立年代は不明ですけど、内陣(ないじん)まわりに18世紀后半の様式をしめすかえるまた(蟇股)や斗栱(ときょう)が使用されており、このころに建立された可能性があります。あんじょう市内では本証寺(ほんしょうじ)本堂(1663年)につぐふるさをもつ真宗本堂といえます。なおくだりむね(降棟)の獅子は独特のすがたをしております。

展示解説のひ

じつはきのうは展示解説のひだっただけど、やっぱり解説してもらいながらみていくってのは、ようわかっていいわ。日程をみると2015年4月いつかまでの開催期間のうちにあと7回展示解説があるで、みなさんもこのときにいくことをおすすめするよ。

20150215_152301 宮大工展 - 展示解説

(さんこう)