あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

安城町長 岡田菊次郎 - 農林学校を 誘致、道路網を 整備

広報あんじょうに安城(あんじょう)の偉人第2弾として、安城町長岡田菊次郎(おかだきくじろう)がのっとった。農協本店のとこに銅像のたっとったひとだ。

安城の偉人②安城町長岡田菊次郎 (広報あんじょう 2014.6.15)
安城の偉人②安城町長岡田菊次郎 (広報あんじょう 2014.6.15)

こんなふうにかいてある。

  • もんつきはかますがたでせんすをてに、まちなみをみおろしとった銅像の人物が、岡田菊次郎だ。さいしょの銅像は本人が62才のときにつくられた。
    岡田菊次郎の銅像 - JAあいち中央本店 (びがろうさん) ※ 画像はびがろうさんのもの
  • 岡田菊次郎は1867年に安城村戸崎(とさき)にうまれた。東海道線用地の測量に従事したことがきっかけで1888年からやくばのしごとをするようになり、1892年には村会議員になり、以后、町会議員、郡会議員、県会議員をながねんにわたってつとめる。
  • 1900年には、村長らが反対するなか、県立農林学校の誘致を強力におしすすめ、成功させる。この一件で村長が辞職し、かわって岡田菊次郎が村長につく。1906年に町制に移行するだけど、戦后ごろまでに安城町長を6回もつとめる。
  • 岡田菊次郎の功績は、農林学校のほか、警察署、郡役所、県立種鶏場などの施設を誘致したことや、道路整備をつぎつぎとおこなったこと。町長時代にてがけた町道は100路線ちかくにもなり、県道は十数本もあって、当時の安城町の道路網はずばぬけて充実しとった。さらに矢作川上流域に水源確保のための山林経営をおしすすた。
  • このような社会基盤の整備が農都安城の成立につながった。
  • 銅像は、戦時中の金属供出のためいっぺんなくなったけど、戦后すぐに再建される。いまは大東町にある明治用水会館のしきちに移設されとる。

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なるほど、第1弾の初代安城村長稲垣半十(いながきはんじゅう)は安城駅の誘致に成功し、こんかい第2弾の安城町長をながくつとめた岡田菊次郎は農林学校ほかの誘致を成功させたり、道路網の充実をはかったりしたわけだ。


(さんこう)