まえに中山道の赤坂宿にいってきた。きのうは東海道の赤坂宿にいってきた。位置は岡崎と豊橋のあいだになる。
めおとのくすのき
赤坂宿は東海道の街道ぞいに一直線にある。いちばん岡崎よりのはしっこまでいったとこで、みぎしたに神社をみつけて、おりていってみる。きがおいしげった境内はくらく、社殿はあんまりていれがされておらず、地面もくさばえだ。まんなかにおおきなくすのきがある。説明がきがあり、樹令千年のめおとのくすのきだっていう。
杉森八幡社のくすのき
杉森八幡社境内、拝殿むかってひだりがわ、まえから2本がほれでありねかぶが一本化し、2本に成長しとることから「めおとのくすのき」ともよばれとる。このやしろは大宝2年、みずのえとら(壬寅)、702年、持統上皇が、東国ご巡幸のときこの地の頓宮(とんぐう)におられたとき、伊勢神宮領みくりや(御厨)あとに大神宮・八幡社を勧請(かんじょう)あそばされ、両宮とも神鏡をおさめられたとつたえられる。やしろの発生から考察し、また調査したところ、このくすのきは樹令千年とかんがえられる。めどおり6メートル、たかさ20メートル。ねばりがくすのきのとくちょうをよくあらわしとる。
赤坂の舞台
杉森八幡社の拝殿のみぎがひろばになっとって、ほのおくに倉庫のような社殿あり。おおきなものおきもあったもんだって感心。ちかづくと説明がきがあり、よんでみると、なんと、なかにまわり舞台があるっていう。江戸時代には人形浄瑠璃が演じられ、明治以降は歌舞伎が演じられとったもんだっていう。赤坂の舞台として有名なもんらしく、赤坂宿のにぎわいをいまにつたえる。
赤坂の舞台
1998年6月ついたち 豊川市指定有形民俗文化財
建築面積243平方メートル まぐち10.4間 おくゆき7間この舞台は、心棒のさきを支点として盆がまわるようにしくんだ、さらまわし式のまわり舞台である。奈落はなく、舞台上でまわした。
赤坂宿では、江戸時代には人形浄瑠璃、明治以降は歌舞伎が演じられとった。
現在の舞台は、赤坂のしばい愛好者が中心となって、近隣の同好者に建設をよびかけ、1872年7月に舞台びらきをしたってつたえられとる。
2000年に改修復元した。
はたご「大橋屋」
杉森八幡社から宿場のまんなかにもどるとちゅうに、むかしのはたご(旅籠)あり。本陣、わき本陣以外のやどのことを「はたごや」っていって、1733年には赤坂宿400軒のうち、83軒がはたごやだっただげな。この大橋屋は1716年にたてられたもので、かぞえてみると298年たっとる。
はたご「大橋屋」
豊川市指定建造物
1977年3月ついたち本陣・わき本陣以外の武士や庶民などの宿泊施設をはたごや(旅籠屋)っていう。
1733年の赤坂宿は、町家?をあわせて家数400軒のうち、83軒がはたごやであった。
大橋屋は、旧屋号を鯉?屋っていい、1716年の建築っていわれる。赤坂宿のはたごやのなかでは、おおはたごに属し、まぐち9間、おくゆき23間ほどであった。いりぐちの見世間・階段・二階のへやは往時のようすをとどめる。
もと病院たてもの
しゅくばのまんなかから豊橋よりに、ちょっといったみぎがわに洋館があった。看板もなんにもなくて、なんだかわからんかっただけど、あとではいったうなぎやさんにきいたら、ず~っと病院だったたてものだっただよっておしえてくれた。たてもんはとなりのひとの所有だけど、こわさんであるとも。行政でてをいれて、保存してほしい。
みつけ あと
いちばん豊橋よりのはしっこに「みつけ(見付)あと」の説明がきがあった。宿場のはしっこには、みはりばしょがつくってあっただ。
みつけあと
みつけ(見付)とは、宿場のいりぐちにいしがきなどをつみ、ではいりするものをみはったところである。
赤坂宿みつけは、東西にもうけられ、ひがしは東海道をはさんだこのあたりのりょうがわにあり、にしは八幡社いりぐち付近のかたがわにあった。
『赤坂旧事記(あかさかくじき)』によれば、1796年、代官辻甚太郎?のとき、ひがしがわのみつけを関川神社のまえに移築したとされとる。
1874年にとりこわされた。
御油のまつなみき
みつけあとのすぐ豊橋よりに御油(ごゆ)のまつなみきがある。赤坂宿のすぐとなりなのに、御油宿のものらしい。赤坂宿も御油のまつなみきのとおりも、クルマがひんぱんにいきかうだけど、御油のまつなみきのとおりは「かぜがつよいときとかは、まつがたおれる危険があるで、通行どめになる」っていう看板がでとった。
御油のまつなみき
うなぎ屋
宿場のまんなかにもどって、あらかじめみつけといたうなぎやさんにはいる。ってか、ここ赤坂宿でごはんがたべれるのはここしかない。屋号もまんま「うなぎ屋」だけど、ひとりできりもりするおかあさんから、ちょこっとはなしがきけた。「大橋屋はたててから300年だけど、うちもたててから200年だよ」。でも、そとかべもうちかべも、あたらしい建材でおおっちゃっとる。「ついさいきんもテレビのロケがきてね。このみせで取材してっただよ」。なるほど、いまはこういう、宿場町をたびするっていうばんぐみがはやっとるもんね。おかあさんもなんかいかテレビ出演しとるらしい。「この赤坂宿もさいきんはどんどんはぬけになってっちゃっとる。みんなこっからでてっちゃっとるだよね」。なかなかさびしいはなしだ。いまは豊川市に属するここ赤坂宿も、合併まえは音羽町(おとわちょう)の中心地だって、りっぱな図書館や役所はいまでもあるのに。「みんな、百姓がやりたくないだよね」。ほっか、宿場町にすむひとも百姓やっとるだ。「病院もず~っとあっただけど、いまはたてものがのこっとるだけになっちゃった」。さっきみた洋館の病院だ。ほかに病院はないらしい。「こどもたちがいっしょにすもまい!っていってくれるけど、わたしはここでず~っとやっていくよ」。がんばれ、おかあさん! がんばれ、赤坂宿!
(さんこう)
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- 芭蕉も広重もとまったはたご、360年の歴史に幕|増田貴子さん|フェースブック|2015年2月25日 12:58 〔ついか〕
- 芭蕉も広重もとまったはたご、360年の歴史に幕 - 愛知(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース|2015年2月25日(水)7時44分配信
- 旧東海道のしゅくばまち、赤坂宿で、360年以上の歴史をもつ旅館「大橋屋」が2015年3月15日、閉館する。江戸時代から綿々とたびびとをもてなしつづけ、松尾芭蕉や安藤広重もとまったとされるはたご。伝統のたてものは豊川市へ寄贈され、来年2016年以降、一般公開される予定だ。
- 大橋屋は江戸時代初期、1649年の創業。もとの屋号は「伊右エ門鯉屋」だった。現在のたてものは1715年にたてられた。2階へはふきぬけのへやからくろびかりの階段をあがる。独特のつくりをしたまどの格子やひさしが2階にある。
- 大橋屋は、安藤広重の「東海道五十三次 - 赤坂旅舎招婦図」でえがかれたほか、宿泊した松尾芭蕉が句をよんだってつたわっとる。1977年には旧音羽町の文化財に指定された。
- 明治時代には繁忙期、27部屋で1日100人ほどが宿泊したこともあったっていう。1921年、となりのうちで発生した火災が延焼し、たてものの3分の1ほどが焼失したけど、旅館として営業をつづけた。
- いまは19代めになる青木一洋さん75才がつまの法子さん69才とふたりできりもりしとる。「旧東海道の宿場町で『はたご』としてつづけとるのはここだけ。江戸情緒をかんじてもらえれば」と1日3くみまで宿泊をうけつけとった。
- だけど近年の宿泊客の減少や体力の限界などを理由に旅館をたたむ決断をした。
- 芭蕉も広重もとまったはたご、360年の歴史に幕 - 愛知(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース|2015年2月25日(水)7時44分配信