ひづけでいくときのうになっちゃうだけど、金山の名古屋ボストン美術館に北斎展をみにいった。芸術にうとく、まとまったはなしができるわけじゃないで、以下に北斎展でまなんだことやかんじたことをかじょうがきにしるす。
- 葛飾北斎(かつしかほくさい)は1760年にうまれ、1849年になくなる。あしかけ90年いきたわけで、ずいぶんとながいきだっただ。
- ボストン美術館には浮世絵(うきよえ)版画が5万点あって、世界はつの北斎展も1892年から1893年にかけて、フェノロサがボストン美術館で開催したもの。
- 1778年、19才の北斎は役者にがおえの勝川春章(かつかわしゅんしょう)にでしいり。よくねんには勝川春朗の画号をあたえられる破格の出世をとげた。うん、さいしょは葛飾北斎っていうなまえじゃなかっただ。
- 1820年、還暦をすぎた北斎は号を為一(いいつ)とあらためる。う~ん、春章、北斎、為一って、なんかいもなまえをかえとるだ。
- 70才代はじめごろに発表したのが富岳三十六景。ほのうちの「神奈川おき-なみうら」がいちばん有名なやつなだけど、1831年ごろの作で、「グレートウェーブ」っていうなまえで世界にしられとるとのこと。印象派画家や作曲家ドビュッシーら西洋芸術にえいきょうあたえたげな。なるほど、けっこう晩年に代表作をだしとるだね。
- 「あかふじ」でしられとるのは「凱風快晴(がいふうかいせい)」っていうなまえだった。これも1831ごろの作で、凱風とはみなみかぜのこと。う~ん、あんまりみなみかぜってかんじの版画じゃないだけどな。
展示室のそとのようす - 浮世絵は江戸時代のマスメディアとして木版で大量生産されたもので、ほのため、したえをかく絵師、版をほる彫師、版で一色づつすりかさねていく摺師という三者の分業でつくらた。うん、大量生産されたってとこがみそだ。この浮世絵で絵画文化がひろく大衆にいきわたったってことだとおもう。
名古屋ボストン美術館にいくのははじめてだっただけど、北斎とは関係なくクリップスタンドってのをみやげにかってかえった。
(さんこう)