あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

いわ のぼりの 尾川とも子さんって 田原の ひとだった

尾川とも子さん (130218 ちゅうにち)
尾川とも子さん (ちゅうにち)

いわ のぼりの 選手に、尾川とも子 (おがわ ともこ)さんって いう 有名な 選手が おる。なんねんか まえに テレビで 「わが 人生は ぜんぶ いわ のぼりの ために ささげる!」ってな こと いっとって、すごい ひとが おるだな〜って 感心した。


ところで 中日新聞に 「わが 三河 地方 出身の 有名人が じぶんの ふるさとの ことを かたる」って いう 特集が あるだけど、こんげつ 2013年 2月 18日の 特集に この 尾川とも子さんが のっとった。おおっ! なんと 尾川とも子さんの 出身は 田原 (たはら)だっただ! しかも こないだ のって きた 豊橋鉄道の 沿線が 実家だって いう。


とおい 存在が なんだか みぢかに なった ようで うれしく、以下に 田原 通信部 那須政治氏の 記事を 紹介する。


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「こころは 三河」 わたしの ふるさと


フリー クライマー 尾川とも子さん 34才



田原市に 帰省するのは 盆と 正月 ぐらいですけど、ふゆは 豊橋鉄道 渥美線の 豊島駅 (としまえき)の ホームに たつと、いつも かぜが つよくて、めちゃくちゃ さむく かんじます。気温は 関東の ほうが ひくいのに。実家 周辺は はたけや ハウス ばかりですけど、ともだちと よく あそんだ 神戸 (かんべ)小学校 となりの 運動場や 近所の 公園が なつかしいです。


130215 豊橋鉄道 (4) 11:04 神戸 (かんべ)
豊橋鉄道 神戸駅 (かんべえき)

実家は 以前、キャベツと ブロッコリーを 栽培する 兼業 農家でした。よく 作業を てつだい、小学校 低学年の ころは、ダンボールに Mや Lの スタンプを おすのが たのしくて、廃棄する はっぱを やまもりに つみ、ほこに とびこんだりも しました。高学年に なると はたけ しごとの あたま かずに いれられ、包丁で キャベツを もいだ ことも あります。


小学校の 器械 体操部では 補欠で、中学は バレーボール部で 大会 メンバーに はいったり、はいらんかったり。運動 神経 抜群だなんて いえる ような こじゃ なかったです。高校 時代は 放送部で アナウンスメントの 全国 大会に でましたけど 上位までは いけず、例年は まっと いい 成績だったで、先輩に がっかりされたのを おぼえてます。


ゆめは 宇宙 飛行士

じつは、ちいさい ころから 宇宙 飛行士に なりたかったのです。小学生の ときに 毛利衛さんや 秋山豊寛さんが 宇宙に いく ことが きまり、「ひとが いかん ところに いって みたい。女子 はつだったら すごい」と あこがれました。愛読する 科学 雑誌に 寄稿しとった 大学の 先生に まなびたい、と 大学 受験で 浪人も 経験しましたけど、合格は かなわず。「先生に まなべんだで だめだ」と あきらめて しまいました。でも いま かんがえると、ほかの 方法で 宇宙 飛行士に なる 選択肢も あった。ほの ときは 一直線だったのですよね。大学で 登山を はじめたのも、「にほんで いちばん たかい ところに いけば 宇宙に ちかづける」と おもって、富士山に のぼった 中学 時代の おもいでが あるからなのです。


努力 チクチク系

こうした むかしの 経験は いまに いきてます。じぶんで いうのも おこがましいですけど、わたしは チクチク、コツコツ ものごとを やる ほうなのです。いま やっとる 天然の いわも チクチク系。いわばに かける てを 毎日 1ミリ ずつ 1ミリ ずつ よこに ずらして、とおか あとには 1センチ すすむ。ゆびの 角度も 1度 ずつ かえたり して、じわじわ クリアーします。もともとの 能力は たかく ないし、おやも アスリートで ない。「才能を 開花させて ゆめ かなう」と いう タイプでは ないのです。


補欠だった 小学校の 器械 体操では、じつは 1回 だけ 鉄棒の 選手に なりました。ほの とき、先生から 「おまえは ずっと 努力しとったで 選手に した」って いわれたのを よく おぼえてます。おそらく 当時から チクチク系なのです。


「田原は ゆたかな まち」


じもとを はなれ、田原は ゆたかな まちだなって おもいます。おかねの 面でも こころの 面でも。リーマン ショックの 時期、東京では 「不況だ」と みんなが なげいてましたけど、田原は あかるい 世界に うつりました。ほんとうは ほんな こと ないだらあけど。歴史の ある しろも あるし、エコな 風車も ある。サーフィンの メッカでも ある。市街地は すこし ずつ 発展してますし、わかい ひとが まちを はなれん ように する ことが たいせつですよね。発展を つづけ、ずっと すみやすく やさしい まちで ありつづけて ほしいです。



尾川とも子さん

  • フリー クライマー。
  • 1978年、田原町 (現 田原市) うまれ、34才。
  • 時習館高校を へて 早稲田大学 理工学部に 進学。在学中は ワンダーフォーゲル部に 在籍し、2000年から 海外 登山で 必要な 技術を まなびはじめた。2003年に ロープを つかわず 人工の かべを のぼる スポーツ クライミングの アジア 大会で 優勝、卒業後は クライマーと して かつやくし、現在は 高難度の いわに 挑戦する。2012年に 栃木県で 難度 「V14」の いわを 完登し、女性と して 世界 はつの 偉業を 達成した。
  • 千葉県 習志野市 在住。


〔取材を おえて〕

「田原に あったら いいなと おもうのは 銭湯」。市街地に 公衆 浴場が ない ことを 残念に おもう ふろ ずきの わたしも、この こたえは 予想外だった。テレビや 雑誌で 「美人 アスリート」と して 注目される 尾川とも子さんだが、1時間 あまりの 取材を とおして、自然体で かざらん ほの すがたに 共感を おぼえた。一方で 「チクチク系」と かたっとる ように、努力しつづける ことの たいせつさや、ほれを 可能に する アスリートと しての しん (心)の つよさを かいまみた。
(田原 通信部 那須政治氏)


(2013年 2月 18日 ちゅうにち 三河版)

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いや〜 「いわばに かける てを 毎日 1ミリ ずつ 1ミリ ずつ よこに ずらして…」とか、いわ のぼりに かける 情熱が すごいよね。これからも 尾川とも子さんに 声援 おくるよ(^_^)




(さんこう)


尾川とも子さん 「田原は ゆたかな まち」 (130218 ちゅうにち)
尾川とも子さん 「田原は ゆたかな まち」 (130218 ちゅうにち)