あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

避難所 体験 いって きた! 〜古井町 自主 防災会 主催〜

9月 18日 どようびの ひるすぎから つぎの ひの あさ 7時まで、古井町 (ふるいちょう) 自主 防災会 主催の 避難所 体験に いって きた。こう いった 訓練は 安城 (あんじょう)市内 はつの 訓練だそうだ。


会場は 安城南部小学校の 体育館だ。古井に ある 避難所は ゆたか保育園だけど、訓練の やりやすさから、となりの 町内に ある この 小学校で やる ことに した ようだ。古井も この 小学校の 学区内で あり、おおかたの 参加者に とっては、「ここは じぶんの かよった 学校か または こどもの かよっとる 学校」と いう ことに なるので、わがやの ような ものだ。






体育館に みんなが あつまりはじめる
あつまりはじめ|古井町 避難所 体験

2時 半 ごろ 小学校に 到着。


校庭では なまず号での 地震 体験や、消火器 まと あて ゲーム あり。






なまず号
なまず号|古井町 避難所 体験

3時 15分、体育館で 開所式 はじまる。司会は 安城市社会福祉協議会の 職員。






町内会長 あいさつ
町内会長 あいさつ|古井町 避難所 体験

主催者を 代表して 古井町内会長、安城市市民生活部防災危機管理監の 順に あいさつし、つづいて 企画 運営がわを 代表して 安城市社会福祉協議会事務局長、レスキューストックヤードの おねえさんの 順に あいさつ。「災害時、ひとりも みのがさん 古井町内会!」との 町内会長の ことばに いきごみを かんじる。






レスキューストックヤードの おねえさん
レスキューストックヤードの おねえさん|古井町 避難所 体験

開所式が おわり、最初の 防災 講座と して、たきだし 訓練の 説明。ごはんは 「ハイゼックス包装食」と いう やりかたで たく。透明な 炊飯 ぶくろに こめと みずを いれ、くちを わごむで とめて セット。これを 「はそり」と いう おおなべの 沸騰した ゆに いれて 40分で できあがり。はそりの ゆは 少々 にごっとっても だいじょうぶらしい。カレーは じもとの やさいを つかった もの。


説明が おわり、校庭に でて ばんめしの したく。めしたきも カレー づくりも 老人会が 主体で やるけど、参加者は 炊飯 ぶくろの セットなどを てつだう。






炊飯 ぶくろに こめを つめる
炊飯 ぶくろに こめを つめる|古井町 避難所 体験

市役所 防災危機管理課の 職員の 指導も えて、順調に すすむ。


ゆで やけど せん ように 注意 ぶかく、はそりに 炊飯 ぶくろを いれて いく。






はそりに 炊飯 ぶくろを いれる
はそりに 炊飯 ぶくろを いれる|古井町 避難所 体験

カレーも うまそうに できて いく。






カレーを つくる
カレーを つくる|古井町 避難所 体験

はそりに 炊飯 ぶくろを いれて 30分しか たっとらんのに、「たべかた 準備!」の あいず。みんなの 「はよ くいて〜」って いう 無言の 圧力に まけたか。持参した さらに 炊飯 ぶくろ 半分の ごはんを もり、カレーを かけて もらう。校庭の すみに ひいた シートの うえで、くみ ごとに わかれて マイさじ マイはしで いただきます♪ あ、やっぱり まんだ かたいじゃん ^^; それでも おかわりして ごちそうさまでした m(_ _)m


この とき、となりの ひとから 1945年の 三河地震の ときの はなしを きく。
「うちの へんじゃ たおれた うちは すくなかっただけど、あんたん とこの うちは 三河地震で くずれちゃって、おじいさんが はりの したじきに なって、うちに たすけを もとめに きた」「しばらく うちの ほんや (本家)で みんな ねとまりしとったよ」「古井じゃ みなみの ほうが ひどくて、3人が なくなった」
そっか、地震って ひとごとじゃ ないだ。


体育館に もどり、6時 15分から また 防災 講座。


最初に レスキューストックヤード 代表の ひとの はなしを きく。1995年の 神戸地震の あと、30回も げんばに あしを はこんどるそうで、避難所も 設置は 行政が やって くれるけど、運営は 自治で やらにゃ いかんので たいへんだと いう こと。神戸地震では 32万人が 避難民に なったそうだ。


ひきつづき、「三河地震と 古井町の 歴史」。実際に 古井で 三河地震を 経験した ひとの はなしを きき、古井町歴史研究会の 会長から 「古井」の 地名の もとに なった 「古跡 古井の 井戸」の ことを まなぶ。






古井町の 歴史を まなぶ
古井町の 歴史を まなぶ|古井町 避難所 体験

倭建命 (やまとたけるのみこと)の おばさん 倭姫命 (やまとひめのみこと)が たずねたと いう、由緒 ある ものだと いう ことに おどろく。


最終章は 「さまざまな 避難所 問題の 解決 方法」。


「クルマイス 体験と めかくし 体験」 = クルマイスに あしの わるい ひとを のせて 段差を のりこえたり する 練習と、めの みえん ひとを トイレまで じょうずに つれて いく 練習を、ふたり ひとくみに なって、かわりこ番で 障害者に なって やって みる。


「人数分 ない おやつの わけあいかた 訓練」 = まず 全員が くみ ごとに わかれて グループを つくる。そこに グループの 人数よりも すくない かずの おやつが くばられる。ひとり ひとつずつ あや いいだけど、ない。さて、どう やって わける? おおかたの くみが、「こどもと ご老人を 優先に まず ひとつずつ くばって、のこりを 半分ずつとか くばる」って いう ような くばりかただったけど、さっと そう いう 弱者 優先の 発想が でて くる ところは さすがだ。







AED (A.K.S.Shopping)
AED (A.K.S.Shopping)

サランラップと 新聞紙で 簡易 ギブス!と AEDの 実演」 = サランラップと 新聞紙で 応急の ギブスが できちゃう。前腕 (ぜんわん)を 骨折した ひとに ギプスを して、包帯 がわりの レジぶくろで これを つると いう、てほんを みた 小学生が、ご老人に 実際に やって みる。また、ごみぶくろに あたまと うでを いれる あなを あければ、あっというまに カッパに なっちゃう!ってのも あり、実際 神戸地震の ときには、この カッパに 新聞紙を いれて 防寒服 がわりに したそうだ。
AEDの 実演は じぶんに とって はつ体験。スイッチを いれて あとは 音声 案内に したがって、患者に パッドを あて、電気 ショックを あたえる ボタンを おせば オッケー! これ しっとや いざって いう とき、ためらわんで AEDを とりだして 行動に うつれる。


9時 防災 講座 終了。防災 講座のみの 参加者は これで 帰宅。


避難所 体験 参加者は、そのばで かしあたえられた パッド 1枚と 持参した 寝具で ねどこを つくる。


9時 半 消灯! ったって、そんな 時間に ねむりに つける はずも なく、ただ よこたわって めを とじとるのみ。トイレやら 自販機に コーヒー かいにやらで、3回 おきあがって 体育館の そとに でる。まだ きびしかった ひるまの 残暑が 冷気と いれかわった 深夜に なって、やっと ねむりに つく。


あさ、まわりの ざわつきに めを さます。すわ、起床 時刻の 6時かと おもいきや、まだ 5時 半。それでも みんな ふとんを かたづけ、パッドを かえして いく。ひとりだけ ふとんに しがみついとる わけにも いかず、したがう。


6時 半から ラジオ体操。ごていねいに 第1ラジオ体操と 第2ラジオ体操の 両方だった。なんじゅうねんかぶりの ラジオ体操だったけど、やれたじゃん (^_^;) ひきつづいて 閉所式が あり、その あと、老人クラブの ひとたちが つくって くれた おかゆを たべて 解散。


訓練 参加者 287人。うち、避難所 体験まで 参加した ひと 99人。おつかれさまでした。




この あと すぐ うちに かえっただけど、シャワー あびて ひるまで ねちゃった。やっぱり 体育館で ねるってのは、平時でも きついね。こいつが 実際に 災害が おこった ときだったら、けがしとったり、たべもんが 不十分だったり、排泄物の 処理が きちんと できんかったり、きる もんや 寝具なんかも じゅうぶんじゃ なかったり、って いう わるい 条件の なかで 睡眠を とらにゃ いかんだで、そら たいへんだ。プライバシーだって もちろん ないし、被災した 家屋の ことや ばあいに よっては なくなった 家族の こととかが あたまん なか かけめぐったりも する。


避難所 生活の たいへんさを ちょっとだけ みに かんじる ことが できた。




(さんこう)