あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

おもい といかけ (あめーば)

2008年 11月 3日に 解任された 田母神俊雄(たもがみ としお) もと 空爆長に ついては 賛否が わかれるが、以下に ひとつの 意見を 紹介する。


「日本は 侵略 国家で あったのか」と いう といかけは きわめて おもい。近現代史の 一面的な みかたを みなおそうと いう うごきが 各 方面から おきとったが、その 象徴的 論文と いえた。


だが、田母神俊雄氏は 空幕長を 更迭された。これまでの 政府 見解に そわん 内容で ある ことは たしかで、麻生 総理 大臣と しても 「たちば 上、不適切」と いわざるを えんかった。


村山談話河野談話が いかに てかせ あしかせに なっとるか、あらためて おもいしらされる 事態だった。


アパグループ元谷外志雄 代表が 社会 還元 活動の 一環と して 論文を 募集、じつは 筆者も 渡部昇一氏ら 4人の 審査 委員の 一員だった。235点の 応募 作品から 社内 審査で 20 数点が まず えらばれ、CDで おくられて きた。すべての 論文は 筆者 名が 削除されとった。


これを よみこみ、2回の 審査委員会で しぼりこんで いった。最終 段階で はじめて 氏名が あきらかに された。高 得点と なっとったのが、田母神氏の 論文だった。


じつは その 瞬間に、こんにちの 事態を 予感した。内容が 正論で あっても、現職の 自衛隊 トップの 論文と なれば ただでは すまん。政治 記者 時代の 直感が はたらいた。


元谷氏が 田母神氏に 確認すると いう てじゅんを へて、最優秀賞に きまった。田母神氏は それなりの 覚悟と 信念を もって かいたのだった。


もう おおさわぎせんでも すむ 時代に なったのかも しれん、と いう かすかな 期待感は あった。だが、やはり だめだった。


朝日新聞の 社説は 「ぞっと する 自衛官の 暴走」と あった。その みだしに こちらが ぞっと した。自虐史観「東京裁判史観」に がんじがらめに なっとる メディアの 実態が そこに あった。


解散 時期を めぐる 与野党 攻防で、野党 がわは かっこうの 攻撃 材料を 手中に した。「日本人よ、ほこりを とりもどそう」と いう 田母神氏の うったえは、政局の うずに のみこまれる ことに なる。


田母神氏は 「第 2の 栗栖」と して 歴史に のこる ことに なった。統幕議長だった 栗栖弘臣氏は 1978年、自衛隊法の 欠陥を ついた 「超法規発言」で 更迭された。25年 後の 2003年、武力攻撃事態対処法が 成立した。栗栖氏は これを みとどけ、その 翌年に 84才で 死去しとる。


田母神氏には、堂々粛々と 更迭 処分を うけ、自由な たちばで 所論を つらぬいて ほしいと ねがう 以外に ない。


(客員編集委員 花岡信昭)ご意見などは次のブログへどうぞ) (以上 )


【政論探求】田母神氏の重い問いかけ - MSN産経ニュース 2008.11.3 18:31