あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

義経 〜宇治川の たたかい〜 (アハ 203)

平安末期、貴族政治への 不満から 武士階級が 勃興。義朝 (よしとも)ひきいる 源氏一党は、平治 (へいじ)の乱で 清盛 ひきいる 平家に やぶれる。


その後、平家に あらずんば ひとに あらず、と いわれる ほどに 平家は 全盛を きわめるも、その 傲慢に 対する 世の 不満を みかたに、再度 源氏は たちあがる。


伊豆に ながされた 義朝の 遺児、頼朝 (よりとも)を 中心に 反撃の のろしは あがる。おなじ 時期、頼朝の いとこ 木曽義仲源義仲)も 反平家の たたかいを すすめ、頼朝に さきんじて 京に はいり、清盛を 西国に 放逐する。


京を 支配する 義仲は しだいに 暴慢と なり、鎌倉の 頼朝は ふたりの おとうと、範頼 (のりより)と 義経に 義仲追討を 命ずる。近江瀬田から 京の 大手 (おおて=正面)を せめるのが 範頼軍で、南方 宇治方面から 京の 搦手 (からめて=側面)を せめるのが 義経軍。


まちかまえる 義仲勢は 宇治川 北岸に 前線を ひく。宇治大橋の 橋板は はずされ、義経の 騎馬隊は 急流 宇治川に ゆくてを はばまれる。


かわぞこの ふかさを 調査し、やっと 騎馬隊の 渡河できる 場所、「橘の小島 (たちばなの こじま)」を さがしあてる。


  ◇  ◇


この あと、義経の 騎馬隊は 一気に 渡河、北岸の 義仲勢を けちらし、範頼に さきんじて 入京、義仲を 放逐し 一躍 ヒーローと なります。


それから、義経は 「一の谷の たたかい」、「屋島の たたかい」、「壇ノ浦の たたかい」と 対平家戦に はなばなしく 勝利するのですが、政治感覚に とぼしい 義経は あに 頼朝に うとまれ、京を おわれ 吉野から 平泉へと 逃亡の すえ 自害すると いう 悲劇の 最期を むかえます。


宇治川
2007年 12月 ついたち さつえい

写真は、義経が その 勝利に より、はじめて よに その なを しらしめた 記念すべき 地、宇治川 渡河 地点で 記念 モニュメントと いっしょに 撮影した ものです。


義経って かっこいい。