あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

杭州で 5 千年 まえの 城壁 発見 −夏? もっと ふるい? − (アハ 119)

♪ 君の知らない 異国の街で ♪
   ・・・・・・
♪ 上海(しゃんはい)蘇州(そしゅう Suzhou)と 汽車に乗り ♪
♪ 太湖(たいこ)のほとり 無錫(むしゃく Wuxi)の街へ ♪



これは 尾形大作、無錫旅情の 一節なんですが、よく カラオケなんかで うたいますよね。って、こんな ふるい うた うたうのは おれだけか・・・。



杭州 位置図


で、太湖を へだてて 無錫の みなみに 杭州は あるんですが、ここで なんと 5 千年 まえの 城壁が 発見されたそうです。


みなさん 学校で、いん、しゅう、しん、かん(殷、周、秦、漢)、って 中国の 歴史を ならったと おもいます。


その いちばん ふるい 殷王朝よりも まえ、いまから 4 千年 まえに 創設されたんじゃ ないか、って いわれるのが、まぼろしの 夏(か)王朝なんですが、さらに その 千年も まえの 城壁あとが、このたび 杭州良渚(りょうしょ)遺跡で 発見されました。


殷、周、秦、漢と、中国古代王朝は 黄河流域で 興亡しとるんですが、今回の 杭州の 良渚(りょうしょ)遺跡は 揚子江 最下流域に あり、これが まぼろしの 夏(か)王朝に つながる ものなのか、はたまた まったく 別の 系統の 文明が 中国大陸に 存在しとったのか、おおいに 気に なる ところでは あるんですが、真実は 今後の 研究を まつ 必要が ある ようです。


今回 発見された ものは 土製の 城壁で、東西 1500〜1700 メートル、南北 1800〜1900 メートルもの 広大な 長方形を なしとるそうです。


(ソース)

▽ 良渚(りょうしょ)遺跡 (2枚)




1:
中国最古といわれる夏王朝より、更に1000年前ですか。。。。
宇宙エレベーター」の本にも、
紀元前4160年前のシュメール文明の話がでてきたんですが、
それに近いですね。
殷以降の歴史がつながる中国にあって、夏が殷にどう連なっていたかという謎に加え、更にその千年前に文明があって、それがどうして滅亡したか(あるいは連なっているのか)という新たな謎がでてきたわけだ。
それにしても5千年以上前に、世界の複数地点で、かなり高度な知識を持った文明が存在したのは間違いなさそうですね。
そう思うとなんかワクワクする^^。


2:>1:
おれの かってな 推測だと、夏(か)は 史記の 歴史時代の 最初に くる もので、黄河流域の 中原(ちゅうげん)に くりひろげられた 殷周秦漢王朝に つながる シナ人 自身の 王朝だと おもうんだけど、今回の 良渚(りょうしょ)遺跡の 城壁は、場所も 中原から とおく はなれた 揚子江流域に あるから、シナ人とは 別系統の 文明じゃあ ないかと おもう。


シナ人じゃ なかったら なに人なのか、どんな ことばを はなす ひとたちだったのか、その 文明は 夏(か)とは どんな つながりが あったのか、なかったのか、って 興味は つきんね (^_^)。


良渚文明と 同様、日本の 縄文文明も わからんことだらけで 興味ぶかいね。


さっきの 日記で シュメールが でて きた とき、ああ、夏(か)と だいたい おんなじ 時期なんだ、って おもったけど、どんな ひとたちの 文明だったのかは よく わかってない みたいだね。シュメール人の はなす ことばに ついては 日本語と にとった、って いう 本を よんだ ことが ある ような 気が するけど。ただ、シュメールの あとの アッカドとは 直接の 連続は ないらしい。


これは ぜんぜん 信憑性が あるか ないか わからん 本だけど、竹内文書とか いう 本に よると、古代日本人は 天の磐船(あまの いわふね)に のって 世界中を またに かけとった、との ことだ。


日記 「宇宙エレベーター」でも アニリールさんの 本を つぎの ように 紹介しとる。

(引用)
第4章では、古代文明や古文書に触れています。
紀元前4160年頃すごく高度な知識・技術を持ったシュメール文明が地球に存在していたそうです。
古代文明が、高度な技術を持っていたのに滅んでしまったという考古学の事実がありますが、まだその原因は解明されていません。
が、古代文明の石碑などには、いわゆる核兵器の使用を想像させる出来事で滅んだというような記載があるそうです。
これが単なる石碑を書いた作者のフィクションなのかどうかは謎のままです。
(引用おわり)

天の磐船の はなしも まんざら 荒唐無稽と ばかりは いえん ような 気も する。


ほんとに おれも ワクワクするよ (^_^)。



7:
 中国小史 黄河の水 鳥山喜一氏 の 本には、湖と川のほとりに、文明を持つ、漢民族なのか 苗(びょう)民族なのか、彼らは農耕をして・・・灰陶(かいとう)という、厚手の3本足の土器で、煮炊きをしていた。


 夏王朝は、漢民族ですが、その話は、竹かん に 書かれている象形文字の伝説に詳しくかいてある。


 鳥山氏は、1959年没。この本は、子供向けに書いてあった。( 角川文庫) 昭和26年出版です。


 ブックオフで買ったけど、読みやすくて、子供向けの割には、詳しく長い文章で書いてありました。←面白い!


 最近の「人民中国」の記事です。


http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200502/teji-1.htm


9:>7:
へーっ! 1959 年に なくなった ひとの、しかも こどもむけの 本に、そんな ことが かいて あったのか。「湖と川のほとりに、文明を持つ」って まさに 今回の 良渚(りょうしょ)文明の ことじゃん!


民族は たぶん 苗(びょう)民族って 気が するね。漢民族に おわれて 東南アジアの ほうに いったんだろうな。


「人民中国」の 記事、ありがとう。おおーっ! 「夏王朝の遺跡から、大規模な宮殿址が続々と発見されている」って かいて ある。どんどん あたらしい 情報 いれとらんと、考古学の 新発見も しらんままだね。