2020年9月みっか、本証寺布教大会にいってきた。
◇ ◇
さいしょにみんなで正信偈。
[2]
大会をはじめるにあたって、真宗大谷派岡崎教区の天野義敬師からあいさつ。
[1]
豊田市正信寺の中根大(なかねまさる)師から法話。師は教化団のわかてで、ふだんは三河別院におつとめとのこと。法話は竜樹菩薩のはなし。
[3]
東幡豆福泉寺のわかいん、木村斉(きむらひとし)師から法話。歎異抄のこと。「葬式の沙汰をすることがすくなくなった。近所のひとでもしらんまになくなっとったとか。とむらいにとどまるのは念仏じゃない。つねにふらふらしとるのがわたしたち。縁のあるひとりのいのちとみしらぬ1,000人のいのち」。
休憩。
[3]
吉良町良興寺の三浦真教師から法話。「スイスは安楽死がみとめられとる。こどもが真宗の僧になる。『いまいのちがあなたをいきとる』。外国のひとがまんがをつうじてにほん文化にはいってくる」。
会場のようす。
[2]
一色長寿寺の和田純悟師から法話。「十方世界の無量の諸仏。阿弥陀如来の本願。コロナのよ、処方せんばっかりが優先になって、根本がおろそかになっとらんか」。
[3]
岡崎市本宗寺の堀田護師から法話。「こ煩悩。煩悩は人間だけがもっとる能力。本能は動物の能力。はらがへったっていうのが本能。どうせたべるならうまいもんをっていうのが煩悩。源信が天台宗比叡山で、しかに人間はおそがいもんだっておしえとく。煩悩がはたらくと、つねにじぶんの都合のいいように満足したいっていう、自己中心的ないきかたがあらわれる」。
ひるやすみ。おにぎりがくばられる。
余興に腹話術。
[2]
一色町良宣寺の伴仁志師から法話。こどもが公衆電話のかけかたをしらんかったっていうはなし。
[2]
矢作福万寺の北野隆之(きたのたかゆき)師から法話。本願を信じ仏をとなえるはなし。
[4]
真宗大谷派岡崎教区教務所の杉山寧(すぎやまやすし)師からコールアーバーのはなし。「田原惟信師は願力寺の二男。『流転のしま』の作詞は真教寺5代住職の田原大興(たはらたいこう)師。沖縄の歴史として、北海道からこんぶがきとった。こんぶロードがあって、交易でさかえた。島津氏の沖縄侵攻で20万人以上なくなる。大東亜戦争でアメリカが占領。田原惟信師はちちのようにえかきになりたかったとこを真宗専門学校にいって、暁烏敏(あけがらすはや)にすすめられて、沖縄の真教寺3代住職になった。那覇くうしゅうでてらがやけおちる。摩文仁(まぶに)で、牛島中将自決まで攻撃されつづける。ふんどし1枚のすがたでたすかる。遺骨収集につとめ、魂魄の塔やひめゆりの塔をたてる。いきのこったもんの責務としておこなったこと。教誨保護事業もおこない、沖縄仏教界の会長にもなる。20年以上本堂はなかった。ビルマ仏教大会に参加。99年の生涯をいきる」。
このあと休憩。杉山寧師からさらにはなしをきく。「田原惟信師のいもうとが知立の万福寺にいった。作曲の清沢久恵さんは、西方寺と関係のある西光寺のひと」とのこと。
[3]
岡崎興蓮寺のわかいん、佐々木祐恵(ささきゆうけい)師から法話。スペードのキングのことから、めのまえのことをかんたんに信じてしまいがちになるとのはなし。
[3]
東幡豆福泉寺の木村圭師から法話。「じぶん自身をふりかえってほしい。阿弥陀経がさいごの法。五濁悪世。時間のけがれ。としとともにがんこになっていく。じぶんがやっとることを否定されたくない。じぶんの意見をまげんくなっていく。あたまをさげるのと、あたまがさがるとのちがい」。
[3]
西浅井宿縁寺の「老院」、織田慶雄師から法話。「本願を信じ念仏をもうさば成仏。じぶんのおもいどおりにならん。ほんとは事実があるだけ」。
◇ ◇
みんなで真宗のうたをうたって、おわり。
(さんこう)