あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

河合香織さんおすすめ『清冽、詩人茨木のり子の肖像』

ノンフィクション作家河合香織さんのえらぶ「人生最高の10冊」のなかに、『清冽、詩人茨木のり子の肖像』っていう本がはいっとった。河合香織さんは、ことし2019年に大宅壮一ノンフィクション賞新潮ドキュメント賞を受賞したひとで、茨木のり子は、わが母校西尾高校の前身西尾高等女学校を卒業したひと。ほいから、茨木のり子は、なきわがははとほぼ同時代をいきたひとでもある。この本、いっかいよんでみたいな。

2019.9.6 週刊現代 - 河合香織さん 650-1390 2019.9.6 河合香織さん - ノンフィクション作家をこころざした原点 1500-1730
河合香織かわいかおり)さん/1974年うまれ。神戸市外国語大学卒業。『ウスケボーイズ』で小学館ノンフィクション大賞受賞。『えらべなかったいのち』で今年度2019年度の大宅壮一ノンフィクション賞新潮ドキュメント賞を受賞。
わが人生最高の10冊 - ノンフィクション作家をこころざした原点
今回の10冊はノンフィクションの魅力を多くの人に知ってもらいたいと思って選びました。1~3位はこんな物書きになりたいと憧れている女性作家、6~10位は現役で活躍しているノンフィクション作家の作品をあげております。
私は神戸の大学に通っておったとき、阪神・淡路大震災に遭いました。当日は成人式のため帰省しておったのですが、その后戻ると家や建物や道路は崩壊し、親しくしておった人は亡くなり、街も人も大きく変わっておりました。
昨日までの世界がたった一日で崩壊してしまったときに出会ったのが井田真木子さんの本でした。彼女の作品は、一見平和で安全に見える日本で、不可視な存在にされておる人たちがおることを教えてくれました。

2019.9.6 6位 - 『清冽、詩人茨木のり子の肖像』 750-1000 2019.9.6 河合香織さん - 『清冽詩人茨木のり子の肖像』 870-1720
第6位『清冽、詩人茨木のり子の肖像』/后藤正治著/中公文庫/740円/『倚りかからず』で有名な詩人、茨木のり子の生涯を身近な人たちの取材をもとに追う
たとえば『清冽、詩人茨木のり子の肖像』は、ノンフィクションの「品」について考えさせられました。后藤さんは「相手を貶めることは書かん」という姿勢を貫かれておって、茨木のり子という取材対象にぎりぎりのところまで迫りながら絶妙な距離感を保っております。そこに強く共感しました。


(さんこう)

  • 「いきとるおもみ」をおしえてくれた、10人のノンフィクション作家(河合香織)|現代ビジネス|講談社|週刊現代|2019年9月8日
  • 【新・しごとの周辺】河合香織(ノンフィクション作家) - 最后まできえん余白 - 産経ニュース|2019.7.14 13:47
    • 取材依頼の手紙を便箋に書いてから2カ月もの間、手元に置いている。担当編集者にはあきれられ、「手紙を投函(とうかん)するだけのことがなぜできないのか」と問い詰められた。そう言いたくなる気持ちもよくわかる。けれども、私にとってこの逡巡(しゅんじゅん)する空白の時間は、ノンフィクションを書くためになくてはならないのだ。
    • 私は人に話を聞かせてもらい、それを文字にすることを生業(なりわい)にしている。子供を殺された親に話を聞き、子供を殺そうとした母のところにも行く。事件でなくても、その人の心の柔らかい部分、そっとしておいてほしいという部分に耳を傾けることも少なくない。
    • この仕事を始めたばかりの頃、「取材を受けるということは、自分という存在が奪われるような経験で、だからこそ余白を残して全部を聞こうと思ってはいけない」と先輩から教えてもらったことがある。一期一会かもしれないから、その場ですべて聞き尽くさないといけないと思っていた当時の私には、意外に思えた。
    • けれども、経験を積むにつれ、取材とは魂を分け与え、受け取る濃密な時間だからこそ、余白が大切になるということを知った。だからこそ、私はゆっくりと取材を始め、ゆっくりと聞くように努めている。できるだけ一度に核心まで聞こうとせず、白い部分を残しておく。
    • 先頃、大宅壮一ノンフィクション賞をいただいた『選べなかった命』では、出生前診断の誤診によりダウン症児が生まれたと医師を訴えた母親に初めて会ってから、取材に5年の歳月がかかった。
    • 北海道・函館へ幾度も通い、裁判を傍聴し、結審后もコーヒー1杯で8時間にわたって話を聞くことをしつこいほど繰り返した。亡くなった子の墓参りにも行った。それでようやく相手のことを理解できたかと思うと、最后の最后に「実は今まで言っていませんでしたが…」という話が出てくる。これこそノンフィクションの限界であり、醍醐味(だいごみ)ではないか。
    • つまり、人を本当に正確に描き切ることなんてできないということだ。どれだけ長い時間を共有しようとも、わからない部分は残る。いや、知れば知るほどに、わからなくなっていくことも多い。
    • 余白は消そうとしたって、最後まで消えることはない。私はそれでいいと思っている。本当のことなんて誰もわからないからだ。書いた人も、そして書かれた本人であっても。わかったつもりにならず、わからなさを胸に抱きしめながら、それでも何かに近づこうと格闘する過程こそがノンフィクションの面白さだと思っている。
    • その人の物語は続いてゆくが、作品の始まりと終わりは作家に委ねられている。手紙が届いたらびっくりするだろうし、なぜ自分なのかとも思うだろう。それでもなお、どうしてもあなたの物語を、あなたのことを聞かせてほしいという思いが伝わることを願いながら、郵便局に向かった。
    • 【プロフィール】河合香織
      かわいかおり/1974年生まれ。神戸市外国語大学卒業。2004年、『セックスボランティア』でデビュー。2009年、『ウスケボーイズ、日本ワインの革命児たち』で第16回小学館ノンフィクション大賞受賞。今年2019年5月、『選べなかった命、出生前診断の誤診で生まれた子』で第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。ほかに『絶望に効くブックカフェ』など。
  • 大宅壮一ノンフィクション賞|日本文学振興会
  • よりかからず - あきひこのいいたいほうだい|2016/02/23
    • 岩瀬文庫の展覧会で茨城のり子っていうひとの詩に接した。どれもわかりやすく、ひごろ文学にえんのないじぶんにもたのしめた。
    • よりかからず/この「よりかからず」もいい。どんな権威にもたよらんぞ、たのむのはじぶんの耳目、じぶんの二本のあしだけだっていう宣言のすがすがしいこと。
    • おんなのこのマーチ/おれはおとこだけど、なんだかわかるきがする。おんなのこっていうきゅうくつなわくになんかはめられてたまるかっていう反発心が、ここちよくつたわってくる。
    • はたちが敗戦/茨木のり子はたちで敗戦をむかえた。ほのちょっとまえ、西尾高等女学校にかよっとったときは戦時一色で、教練ではかのじょが全校に号令する役をまかされとっただ。
    • 茨木さんと「櫂」 - 水尾比呂志/結婚して東京にいってしばらくして「櫂(かい)」っていう同人誌をつくっただけど、詩人なかまのあいだでも茨城のり子は人気ものだったみたいだね。おとこまえってかんじかな。
  • 茨木のり子 - Wikipedia
    • 茨木のり子(いばらぎのりこ、1926年6月12日 - 2006年2月17日)は、日本の詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家。
    • 大阪府大阪市生まれ、愛知県西尾市育ち愛知県立西尾高等女学校を卒業后上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校薬学部に進学する。上京后は、戦時下の動乱に巻き込まれ、空襲・飢餓などに苦しむが何とか生き抜き19才の時に終戦を迎え、1946年9月に同校を繰り上げ卒業する。帝国劇場で上映されておったシェークスピアの喜劇「真夏の夜の夢」に感化され劇作の道を志す。「読売新聞第1回戯曲募集」で佳作に選ばれたり、自作童話2編がNHKラジオで放送されるなど童話作家・脚本家として評価される。1950年に医師である三浦安信と結婚。埼玉県所沢町(現、所沢市)に移り住む。家事のかたわら『詩学(雑誌)』の詩学研究会という投稿欄に投稿を始める。最初は2篇を投稿し、そのうちの1篇である「いさましい歌」が選者村野四郎に選ばれ、1950年9月号に掲載される。1953年に川崎洋からの誘いで、「櫂(同人誌)」の創刊にたずさわる。創刊号は川崎洋茨木のり子の二人だけの同人誌だったが、2号からは谷川俊太郎、3号から舟岡遊治郎・吉野弘、4号から水尾比呂志が参加し、その后の第2次戦后派の詩人を多数輩出するようになった。1976年より韓国語を習い始め、韓国現代詩の紹介に尽力する。1991年に『韓国現代詩選』で読売文学賞(研究・翻訳部門)を受賞。2006年2月17日、くも膜下出血のため東京都西東京市東伏見の自宅で死去。享年79才。夫・安信と1975年に死別してから独り暮らしで、2006年2月19日に訪ねて来た親戚が寝室で死亡しているのを発見した。すでに遺書は用意されてあった。鶴岡市加茂の浄禅寺にある夫の眠る墓地に埋葬された。