あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

城向遺跡(しろむかいいせき)

広報あんじょうに城向遺跡(しろむかいいせき)のことがのっとった。戦国期、桜井城のあったとこだ。

城向遺跡 - 広報あんじょう 2019.7.1号 717-775
城向遺跡(しろむかいいせき)(あんじょうし桜井町)
城向遺跡は、桜井松平家の居城だった桜井城跡の西に広がる集落跡で、古代集落や戦国時代の大型の溝などが見つかっております。2018年度は名鉄西尾線の高架に近い場所で発掘調査を行ないました。
発見 01 桜井城の城下町は広かった!
桜井城の城下町は城の周囲のみかと考えられてきましたが、本調査で、城から離れた場所で戦国時代の区画溝(土地を区 切る溝)と複数の井戸を確認。さらに西へ広がっておったこと がわかりました。区画溝は屋敷地を区画したとみられ、二重に巡らされておりました。
〔写真1=区画溝/写真2=二重の区画溝と井戸跡〕
発見 02 珍品出土!
溝や井戸から、数点の珍品が出土しました。魚をかたどった陶器の水滴は、書道に使われる水差しです。香炉なども出土しました。いずれも庶民の集落ではなく、武家屋敷などから出土するもの。これらから、この地は桜井松平家に仕えた家臣らが住んでおった屋敷地だったのではと考えることができます。
〔写真1=魚型の水滴(江戸初期)/写真2=香炉(戦国時代)/写真3=鍋類(戦国時代)〕
あんじょうし文化振興課埋蔵文化財専門員石原奈緒子さんから
桜井城は、徳川家康が関東に移る1590年まで、安城松平家から分出した桜井松平家の居城として存続しました。江戸時代に描かれた絵図や地籍図などから、現在の城山公園(しろやまこうえん)と靖霊神社(せいれいじんじゃ)が城跡にあたると考えられます。これまで桜井城周辺で調査してきた場所は、絵図に「昔ハ士(さむらい)ヤシキ」と記された部分とみられ、調査ではそれに見合った遺構や遺物が見つかりました。
広報あんじょう - 2019年7月ついたち号

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なるほど、桜井城の城下町が想像しとったよりひろい区域にひろがっとっただ。昨年度2018年度に名鉄西尾線にちかいほうで発掘調査したところ、戦国時代の区画溝や複数の井戸が出土しただげな。ほー。


(さんこう)