きょう2016年2月はつか、桜井城跡発掘調査現地説明会にいってきた。
ばしょは桜井城のなわばりの西南に隣接するばしょで、住宅街の一角になる。全体をみなみ区ときた区にわけとるうち、こんかいはきた区について説明。あいにくのあめにもかかわらず、おおぜいのひとがあつまる。あんじょうし文化振興課長、文化財係長のあいさつにつづき、担当の石井さんからおおまなかな説明。井戸や土坑がようけあることと、地表からあさい位置にあるのがとくちょうらしい。
(1) 全景、(2) 課長あいさつ、(3) 係長あいさつ、(4) 担当の石井さん説明
説明がおわり、げんばのなかをあるいてみる。
つちが粘土質のためくつはどろどろで、注意ぶかくあるかんところんじゃいそう。
年配の参加者がおおいなか、わかいおんなのひとがひとり熱心にみてまわっとった。ちゃんとながぐつできとることに感心。歴女ってやつか。
以下、げんばでくばられた資料から。
調査期間=2015年11月11日から(現在も継続中)(全区域)
調査面積=913平方メートル(全区域)
調査目的
調査地は桜井城(あんじょうし指定遺跡「桜井城跡」)の西南に隣接し、遺跡に登録されとるばしょです。こんかい、この地区で土地区画整理事業が実施されとるため、工事によって地下の遺跡にえいきょうがおよぶか所について発掘調査をおこなうことになりました。調査地はみなみとひがし、きたにぬまちや湿地があったっていわれており、調査でかくにんした地形からもにしからのびる台地のはしに位置しとったってみられます。
△ 2016.2.20 桜井城跡発掘調査現地説明会位置図 〔かくだい〕
調査結果
昨年2015年のみなみ区の調査では戦国時代の土器が出土する井戸を多数検出しました。きた区でもみぞ、多数の土坑やはしらあな、井戸を検出しました。おもな遺構はつぎのとおりです。
- みぞは数条検出しておりますけど、おもなものはきた区の中央とひがしで検出した南北にのびるもの2条(みぞ1、みぞ2)とみなみ区で検出した東西みぞ(みぞ3)です。みぞ1はみなみはしがとちゅうできれますけど、きたは調査区外にむかってほぼまっすぐにくだっていきます。みぞ2はとちゅうでゆるやかにまがりながらきたにむかってくだっていきます。みぞ3は調査区のみなみはしをよこぎっております。中世の井戸にきられておることから、ほれ以前にほられたものです。
- おおがたの井戸は7基(みなみ区4基、きた区3基)検出しました。これらの井戸からは戦国時代の土器がおおく出土しており、ほられた時代もほのころってみられます。このほかの井戸4基は近世以降、現代までのものがあります。井戸わくをもつものが1基ありました。全調査区で合計11基もの井戸がほられとったことになります。
- 土坑は大小さまざまなものを検出しております。このうちこの遺跡でとくちょうてきなのは土坑が連続して3、4基、直線状にほられとるものです。このような遺構をすくなくとも6か所検出しております。これだけなんくみも検出した例もなく、時代や用途はよくわかっておりません。
まとめ
こんかいの調査では、戦国時代から近世、近代を中心に多数の遺構や遺物を検出しました。桜井城とおんなじ時代の遺物がまとまって出土しとるのはおおがたの井戸です。これだけの井戸があつまっとるようすから、居住地域よりむしろ生産活動のばだったようです。
出土遺物はすくないですけど、さらに時代をさかのぼった須恵器(すえき)や土師器(はじき)も出土しております。台地のはしの安定したばしょは、ふるくからひとびとの活動のばとなっとったことがわかりました。