あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

各務原空襲 - 1945.6.22

季節はずれではあるけど、おとついのちゅうにちの記事に空襲被害をうけたたてもんのとりこわしがとりあげられとった、各務原(かかみがはら)空襲(くうしゅう)についてしるしとく。

各務原空襲〔ちゅうにちの記事から〕

  • 大規模空襲は1945年6月に二度あり、一度めは1945年6月22日午前9時すぎ、アメリカ軍B29爆撃機44機が各務原市一帯に襲来。陸軍航空廠や川崎航空機*1岐阜工場を中心に1トン爆弾を投下した。各務原市の資料によると、このひの爆撃で169人が死亡、うち63人は川崎航空機の関係者だった。
  • 二度めの1945年6月26日の空襲では58人がなくなった
  • 各務原市には航空基地のほか、戦闘機を製造する軍事工場が集積しとったことから、アメリカ軍は目標を正確に破壊するため、白昼の空爆を展開した。

(さんこう)

  • きえる各務原空襲の遺産 - ちゅうにち 2015.12.24
    • 岐阜県各務原市川崎重工岐阜工場の本館ビルが2017年にとりこわされることがわかった。1937年にたてられ、太平洋戦争末期にアメリカ軍の爆撃で大破し、ほのあとも修復してつかわれてきた。戦争の記憶をせおい、航空機産業の発展とともにあゆんできたたてものが、すがたをけす。(各務原通信部宮崎正嗣さん)
      きえる各務原空襲の遺産 - ちゅうにち 2015.12.24
  • 「あの恐怖」もう二度と - 各務原空襲犠牲者追悼の鐘:岐阜:中日新聞(宮崎正嗣さん)|2015年6月23日 〔※ まあはいリンクぎれ〕
    • 太平洋戦争末期の「各務原空襲」からちょうど70年となる2015年6月22日、各務原市内の30の寺院では犠牲者をいたむため、かねが一斉にならされた。当時をしるひとたちもしずかにてをあわせ、平和をちかった。
    • ゴーン、ゴーン。空襲がはじまった午前9時半、各務原市内のあちこちでかねがなりはじめた。
    • 各務原市小佐野町(こざのちょう)の安楽寺では、各務原市鵜沼川崎町(うぬまかわさきちょう)のもと小学校教員赤座正行さん82才がかねをついた。70年まえも各務原にすみ、特攻隊員になるのをゆめみる軍国少年だったっていう。「各務原空襲の悲惨さをまのあたりにして、いっきに戦争がいやになっただ」ってかたる。
    • 赤座正行さんは当時、笠松町にある旧制中学・岐阜県第一工業学校*2の1年生。授業中に突然空襲警報がなり、校庭のひとり用防空壕「タコつぼ」にかけこんだ。こわいものみたさにかおをあなからだすと、6機ずつ編隊をくんで各務原の方角にとぶB29戦闘機がみえた。数分后、「ドドーン」っていう爆音が校庭にひびいた。
    • 教師から「各務原方面の生徒はただちに帰宅せよ」って指示され、各務原市鵜沼各務原町(うぬまかかみがはらちょう)の自宅まであるいた。爆弾の直撃をうけた川崎重工岐阜工場のちかくにくると、名鉄各務原線の線路がはりがねのようにまがり、あちこちに損傷のはげしい遺体がころがっとった。周囲に黒煙がたちこめ、はなをつくにおいに気分がわるくなったっていう。
    • 自宅と家族は無事だったけど「これが戦争なのかって。ことばにできん恐怖感をはじめてあじわった」っていい、「二度とあの光景はみたくない」ってかたる。
    • 1945年、アメリカ軍は各務原市内に集中しとった航空機工場などをくりかえし空襲した。もっとも被害が甚大だった1945年6月22日の空襲を「各務原空襲」ってよぶ。アメリカ軍資料によると、このひには、すくなくとも44機の爆撃機が飛来し、169人以上がなくなったってされる。
  • 名古屋空襲展 - ピースあいち - あきひこのいいたいほうだい|2015/03/28
    • 2015年3月17日にみてきたピースあいちの名古屋空襲展について、これまでちょこっとづつ紹介してきたけど、しめくくりとしてぜんたいをのせとく。
  • 各務原市 - Wikipedia
    • 明治以降は、このような広大な原野とみずはけのよすぎる土壌をいかすかたちで、軍事基地や演習場、かつては岐阜大学農学部と工学部がおかれ、機械や紡績の工場、すくないみずで成長するにんじんなどの生産がおもな産業となった。
    • 産業=工業出荷高は岐阜県内第2位であり、飛行実験隊に位置づけられとる航空自衛隊岐阜基地に隣接する川崎重工業航空宇宙カンパニーの航空機工場、三菱重工業などの関連航空機部品企業群、自動車関連工場など輸送用車両機器、金属加工企業が群立しとる。
  • 岐阜基地|[JASDF]航空自衛隊
    • 歴史
      • 岐阜基地は、岐阜県南部に位置し、明治初期に旧陸軍の大砲射撃場としてこの地にひらかれました。
      • 大正・明治・昭和にかけては、軍の「各務原飛行場」として使用され、現在ある飛行場としては、にほんでもっともながい歴史があります。
      • 終戦により岐阜基地はアメリカ軍が使用、ほのあと1957年2月から防衛省と共同使用となりました。
      • 1958年6月にアメリカ軍から完全返還され、現在10をこえる部隊や機関がかつやくしております。
        飛行開発実験団60周年記念塗装機
        △ 飛行開発実験団60周年記念塗装機

*1:いまの川崎重工

*2:いまの岐阜工業高校