あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

吉乃のさと

吉乃(きつの)のさとへいってきた。

広間家の門

ほかのみどころが布袋駅(ほていえき)東南一帯にひろがるさとのなかにあるのに、ここだけは布袋駅西北すぐのまちなかにある。吉乃の在所、生駒家の中門を、典医である広間家がもらいうけたのがこの門だ。絶世の美女っていわれ、のちに信長の側室となった吉乃がこの門をくぐったすがたをおもいうかべたい。

20140819 14.17.48 広間家の門
20140819 14.15.21 広間家の門 - せつめいがき 20140819 14.16.33 広間家の門
△ せつめいがきかくだい

江南市指定文化財
けやきづくりで、やねはむくりはふ(起破風)にみられる凸がたの曲線形がきれいで、なみをかたどったむねがわらや、なみまに竜のような動物がみずけむりをはいとるおにがわらは美術の粋をこらしたもの
往時、この門からかごがでいりしたっていい、みなみそでには棒をさしたあながついており、門の正面のなまこかべなど、生駒屋敷の偉容がしのばれる

常観寺

犬山線のにしがわにそってちょっとみなみにあるいたとこで、線路のひがしがわにわたる。ほっから吉乃の菩提寺(ぼだいじ)久昌寺(きゅうしょうじ)をめざして、さとのなかを東南方向にあるく。しばらくあるいたところに、ふるめかしい門のおてらあり。常観寺(じょうかんじ)っていうなまえのおてらで、おかま地蔵が有名らしい。あとで久昌寺の末寺(まつじ)とわかる。

20140819 14.36.16 常観寺 - 山門 20140819 14.39.57 常観寺 - 山門

常観寺 - おかまじぞう - せつめいがき
山門 - あきひこの いいたいほうだい

あんない図

常観寺からちょっとあるくと久昌寺で、ほのきたがわのひろばに周辺あんない図があった。さいしょにいった広間家の門がある。信長も吉乃のもとにかようのにとおったらしい。いまみた常観寺はなまえだけ。もちろん、久昌寺がいちばんおおきくかいてある。久昌寺のみなみに神明社(しんめいしゃ)。東北に生駒屋敷あと。ここが吉乃の在所だ。西北に竜神社(りゅうじんしゃ)。また、線路をにしにわたったとこには、吉乃が荼毘(だび)にふされたばしょもある。

20140819 14.47.10 久昌寺 - 周辺あんない
20140819 14.47.25 久昌寺 - 周辺あんない
20140819 14.48.08 久昌寺 - 周辺あんない - 広間家の門 20140819 14.48.21 久昌寺 - 周辺あんない - 久昌寺
△ 周辺あんないかくだい

久昌寺

久昌寺(きゅうしょうじ)に吉乃をまいる。おはかはあかいとりいのついた、ちいさなおはかだ。おもてには嫩桂山久昌寺(どんけいざんきゅうしょうじ)ってかかれた説明がきもあった。

20140819 14.56.31 嫩桂山久昌寺
20140819 14.58.32 織田信長公室久庵桂昌大禅定尼之墓 20140819 14.58.52 織田信長公室久庵桂昌大禅定尼之墓
20140819 14.54.46 嫩桂山久昌寺 - せつめいがき
△ せつめいがきかくだい

嫩桂山久昌寺
久昌寺は嫩桂山と号し、曹洞宗(そうとうしゅう)で大本山総持寺(そうじじ)の直末(じきまつ)である
中興開基は、久庵桂昌大禅定尼(きゅうあんけいしょうだいぜんじょうに)(=吉乃)で開山は雄山源英和尚(ゆうざんげんえいおしょう)
生駒氏が大和より移住したとき開営し、菩提寺とした
三代家宗(いえむね)の代になり、ほのむすめお類(おるい)(=吉乃)が織田信長の室となり、信忠(のぶただ)、信雄(のぶかつ)、五徳(ごとく)(=徳姫)をうんだけど、1566年5月13日病没。このときからいまのてらのなまえにあらためられる

生駒屋敷あと

久昌寺から東北方向にちょっといったとこに生駒屋敷あとがある。いまにのこるものはなにもなく、保育園の正門のとこにせつめいがきがたっとるだけだ。別名に小折城(こおりじょう)とあり、かなりりっぱなものだったみたいだ。生駒氏は応仁の乱のころ大和からやってきて、はいやあぶらのあきないで財をたくわえ、尾張北部の豪族としておおきな勢力をもつまでになったとのこと。三代家宗の代になり、むすめ吉乃が織田信長の側室となる。だれでも側室になるってもんじゃなくて、有力豪族のむすめにしてはじめてなれたってことか。未亡人として在所にもどっとった吉乃の美貌に信長がこころをひかれる。ふたりがおうせをかさねたばしょが、竜神社のまえとのこと。ふ~ん。

20140819 15.07.36 生駒屋敷(小折城) - せつめいがき
△ 生駒屋敷(小折城)せつめいがきかくだい

絵図をみると本丸から二の丸、三の丸、西の丸まであり、小折城がいかにりっぱなもんだったかがわかる。いちばんにしには吉乃御殿ってのまである。

20140819 15.09.15 生駒屋敷絵図(かくだい)
△ 生駒屋敷絵図かくだい

20140819 15.08.57 生駒屋敷(小折城) - 周辺地図
△ 生駒屋敷周辺地図かくだい

神明社

また西南方向にもどり、久昌寺のすぐみなみの神明社(しんめいしゃ)っていうおみやさんをのぞいてみる。説明がきに生駒氏のうじがみさまとある。本殿のつくりが、ふるい神明づくりであることもめずらしいらしい。とりいと本殿とのあいだにあった、いしづくりのおおきなばってんはなんだったのか。

20140819 15.16.31 神明社本殿
20140819 15.17.50 神明社 20140819 15.16.09 神明社本殿 - せつめいがき

吉乃ざくら

神明社からにしにあるき線路をわたり、やっとのことで吉乃荼毘の地をさがしあてる。とちゅうなんの案内看板もなかった。すぐとなりは一宮(いちのみや)になる田代墓地のなかでもいちばん一宮よりに吉乃のつかがあるだけど、ほのとなりにうわる吉乃ざくらもさびしげだった。ながらく、だ~れもおとずれたけはいがない。

20140819 15.29.46 吉乃のかた荼毘墓地(田代墓地) - 吉乃ざくら

竜神社

線路のひがしがわにもどって、竜神社え。このひとけのないおみやさんで、信長と吉乃がおうせをかさねたのか。説明がきに生駒氏のうじがみってかいてある。あれ?さっきの神明社も生駒氏のうじがみだったじゃん。また、吉乃の次男信雄(のぶかつ)の守護神であるとも。

20140819 15.46.44 竜神社 - いりぐちから
20140819 15.46.13 竜神社 - なかから
20140819 15.45.28 竜神社 - 本殿
20140819 15.48.06 竜神社の由来 20140819 15.48.39 竜神社 - 「ようこそ吉乃のさとえ」
△ ひだり=せつめいがき △ みぎ=「ようこそ吉乃のさとえ」の看板

説明がきのとなりに「ようこそ吉乃のさとえ」の看板をみつけたとこで、自転車でとおりがかったおじさんにこえをかけられる。「ようこんなとこまでおいでたの~」。おじさんは久昌寺檀家(だんか)のよりあいにいくとこだっただけど、檀家はたったの10軒しかないとのこと。こいで、やっていけるのか。

120303 あいち戦国姫隊 (20) 吉乃さま
△ 吉乃

吉乃をしのぶたびをおえ、いえじについた。


(さんこう)