こないだ2014年8月いつかのあさひに、「慰安婦強制連行っていう、かつてのわが社の報道はまちがいだった」っていう記事がのっとったね。「済州島(さいしゅうとう=제주도)で強制連行があった」っていう証言をしんじての報道だったけど、うらづけがとれんくてついにうそだっていう判断にいたったってことだった。
ほんで、きょうの話題が南京大虐殺。これもあさひがいいだしたことみたいだ。むかしはほんなこと、きいたこともなかったもんね。にほんぐんが南京で30万人ものひとを虐殺したっていう証拠をつきつけられたこともないし。ただ、大虐殺があったっていいたてとるだけだ。
つぎに引用する記述に「あさひがでっちあげた」ってかいてあるだけど、これがほんとのことじゃないかなっておもう。
(略)
- 事の経緯はこうです。
1972の「日中国交回復」に先立つ1970に、当時の朝日新聞社長の広岡知男氏の指示で、中国共産党の「文化大革命」礼賛記事を紙面に掲載した。- 中国共産党の機関紙「人民網(人民日報)」との提携開始もこの時期と思われます。
- また、同時期に、公明党訪中団と中国共産党による「共同声明」発行とも符合している点が興味深い点の一つと謂えます。
- 朝日新聞は、この文革礼賛記事を皮切りとして、翌年1971年から「南京大虐殺」という虚構宣伝のキャンペーンを開始したのです。
- 同紙記者の本多勝一氏による「中国への旅」を連載し、その虚構は広がりました。
- この件の朝日新聞は、メディアとして在るべき検証を悉(ことごと)く省いて報道し、当時は、新聞は正確たり得る情報源と信頼していた日本国民に対し、あらぬ「罪悪感」の一大流布に成功したと謂えます。
(略)
- 朝日新聞の大報道の「真」「偽」や如何に。
- そこで、経緯から「正」「誤」を判別すれば、1978年に、日本の中学校教科書に初めて「南京大虐殺」が記述されるに至っていますが、しかし、同年までの中華人民共和国の教科書には「南京大虐殺」の記載は無かった。
- もっと指摘すれば、事件があったとされる1937年から実に42年間という長期間にわたって「中共の教科書」にさえ「南京大虐殺」は記載されていなかったのであり、はるかに歳月を経たこの年になって、朝日新聞の捏造報道をもとに「日本の教科書」が先に載せたことになります。
- 「南京大虐殺」が仮初(かりそ)めにも事実であるとしたら、中華人民共和国本来の特性からすれば、もっと早い時期から、中国共産党政府が騒ぎ立てていても不自然ではなかったはずです。この経緯をもとに淡々と検証すれば、その背景には、これなら「使える」と言わんばかりの、上述の朝日新聞などを通じた対日プロパガンダの「先行」があり、それ自体が、むしろ、件の虚構が、「戦後」における隷中メディアが支那の尖兵となった捏造報道の証左と指摘できます。
(略)
きょう名古屋でこんなものをみた。
南京六朝華表(なんきんりくちょうかひょう)ってもんで、南京市から姉妹都市の名古屋市におくられたもんらしい。いしぶみにこんなふうにかいてあった。
△ うえ=南京ひろば - 南京六朝華表せつめいがき △ した=部分的に拡大したもの
日本国 名古屋市役所
南京-名古屋が友好都市を結成して以来、偉大な友情の橋が中日両国国民及び市民の心の中にしっかりと架けられ、私達の心を込めて育てた友情の花は、絢爛と開いております。
昨年名古屋市は久屋大通公園内に「南京広場」を建立されました。南京市民の名古屋市民に対する心からの有効の気持をお伝えするため、「南京-名古屋、世代友好」の銘文入りの芸術品である南京六朝華表複製品一対を特別に「南京広場」にお贈りし、もって私達両市の永久の友好を示します。
中日両国国民の世々代々の友好を続けましょう。
中国 南京市革命委員会
1980年10月
◇ ◇
こいだけにほんと中国のなかがわるくなったいま、「友好をつづけましょう」の文字もむなしくみえる。河村たかし市長の「南京大虐殺なんかなかった発言」以来、両市の交流もとだえとるってきくよ。
(さんこう)