あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

東海道 赤坂宿

まえに中山道の赤坂宿にいってきた。きのうは東海道の赤坂宿にいってきた。位置は岡崎と豊橋のあいだになる。

めおとのくすのき

赤坂宿は東海道の街道ぞいに一直線にある。いちばん岡崎よりのはしっこまでいったとこで、みぎしたに神社をみつけて、おりていってみる。きがおいしげった境内はくらく、社殿はあんまりていれがされておらず、地面もくさばえだ。まんなかにおおきなくすのきがある。説明がきがあり、樹令千年のめおとのくすのきだっていう。
20140613 10:13 杉森八幡社のめおとくすのき (1)
20140613 10:13 杉森八幡社のめおとくすのき (2)
20140613 10:14 杉森八幡社のめおとくすのき (3)

杉森八幡社のくすのき

杉森八幡社境内、拝殿むかってひだりがわ、まえから2本がほれでありねかぶが一本化し、2本に成長しとることから「めおとのくすのき」ともよばれとる。このやしろは大宝2年、みずのえとら(壬寅)、702年、持統上皇が、東国ご巡幸のときこの地の頓宮(とんぐう)におられたとき、伊勢神宮領みくりや(御厨)あとに大神宮・八幡社を勧請(かんじょう)あそばされ、両宮とも神鏡をおさめられたとつたえられる。やしろの発生から考察し、また調査したところ、このくすのきは樹令千年とかんがえられる。めどおり6メートル、たかさ20メートル。ねばりがくすのきのとくちょうをよくあらわしとる。

1977年3月ついたち 豊川市教育委員会

境内
20140613 10:22 杉森八幡社の境内 20140613 10:26 杉森八幡社の境内

赤坂の舞台

杉森八幡社の拝殿のみぎがひろばになっとって、ほのおくに倉庫のような社殿あり。おおきなものおきもあったもんだって感心。ちかづくと説明がきがあり、よんでみると、なんと、なかにまわり舞台があるっていう。江戸時代には人形浄瑠璃が演じられ、明治以降は歌舞伎が演じられとったもんだっていう。赤坂の舞台として有名なもんらしく、赤坂宿のにぎわいをいまにつたえる。

赤坂の舞台
20140613 10:28 杉森八幡社と「赤坂の舞台」
20140613 10:27 「赤坂の舞台」
20140613 10:25 「赤坂の舞台」説明がき

赤坂の舞台

1998年6月ついたち 豊川市指定有形民俗文化財
建築面積243平方メートル まぐち10.4間 おくゆき7間

この舞台は、心棒のさきを支点として盆がまわるようにしくんだ、さらまわし式のまわり舞台である。奈落はなく、舞台上でまわした。

赤坂宿では、江戸時代には人形浄瑠璃、明治以降は歌舞伎が演じられとった。

現在の舞台は、赤坂のしばい愛好者が中心となって、近隣の同好者に建設をよびかけ、1872年7月に舞台びらきをしたってつたえられとる。

2000年に改修復元した。

豊川市教育委員会

はたご「大橋屋」

杉森八幡社から宿場のまんなかにもどるとちゅうに、むかしのはたご(旅籠)あり。本陣、わき本陣以外のやどのことを「はたごや」っていって、1733年には赤坂宿400軒のうち、83軒がはたごやだっただげな。この大橋屋は1716年にたてられたもので、かぞえてみると298年たっとる。

はたご「大橋屋」
20140613 11:08 はたご「大橋屋」
20140613 11:10 はたご「大橋屋」内部
20140613 11:09 はたご「大橋屋」説明がき

はたご「大橋屋」

豊川市指定建造物
1977年3月ついたち

本陣・わき本陣以外の武士や庶民などの宿泊施設をはたごや(旅籠屋)っていう。

1733年の赤坂宿は、町家?をあわせて家数400軒のうち、83軒がはたごやであった。

大橋屋は、旧屋号を鯉?屋っていい、1716年の建築っていわれる。赤坂宿のはたごやのなかでは、おおはたごに属し、まぐち9間、おくゆき23間ほどであった。いりぐちの見世間・階段・二階のへやは往時のようすをとどめる。

豊川市教育委員会

もと病院たてもの

しゅくばのまんなかから豊橋よりに、ちょっといったみぎがわに洋館があった。看板もなんにもなくて、なんだかわからんかっただけど、あとではいったうなぎやさんにきいたら、ず~っと病院だったたてものだっただよっておしえてくれた。たてもんはとなりのひとの所有だけど、こわさんであるとも。行政でてをいれて、保存してほしい。

もと病院たてもの
20140613 11:30 赤坂宿 - もと病院たてもの

みつけ あと

いちばん豊橋よりのはしっこに「みつけ(見付)あと」の説明がきがあった。宿場のはしっこには、みはりばしょがつくってあっただ。

みつけあと
20140613 11:25 赤坂宿 - 「みつけ」あと

みつけあと

みつけ(見付)とは、宿場のいりぐちにいしがきなどをつみ、ではいりするものをみはったところである。

赤坂宿みつけは、東西にもうけられ、ひがしは東海道をはさんだこのあたりのりょうがわにあり、にしは八幡社いりぐち付近のかたがわにあった。

『赤坂旧事記(あかさかくじき)』によれば、1796年、代官辻甚太郎?のとき、ひがしがわのみつけを関川神社のまえに移築したとされとる。

1874年にとりこわされた。

豊川市教育委員会

御油のまつなみき

みつけあとのすぐ豊橋よりに御油(ごゆ)のまつなみきがある。赤坂宿のすぐとなりなのに、御油宿のものらしい。赤坂宿も御油のまつなみきのとおりも、クルマがひんぱんにいきかうだけど、御油のまつなみきのとおりは「かぜがつよいときとかは、まつがたおれる危険があるで、通行どめになる」っていう看板がでとった。

御油のまつなみき
20140613 11:23 御油のまつなみき

うなぎ屋

宿場のまんなかにもどって、あらかじめみつけといたうなぎやさんにはいる。ってか、ここ赤坂宿でごはんがたべれるのはここしかない。屋号もまんま「うなぎ屋」だけど、ひとりできりもりするおかあさんから、ちょこっとはなしがきけた。「大橋屋はたててから300年だけど、うちもたててから200年だよ」。でも、そとかべもうちかべも、あたらしい建材でおおっちゃっとる。「ついさいきんもテレビのロケがきてね。このみせで取材してっただよ」。なるほど、いまはこういう、宿場町をたびするっていうばんぐみがはやっとるもんね。おかあさんもなんかいかテレビ出演しとるらしい。「この赤坂宿もさいきんはどんどんはぬけになってっちゃっとる。みんなこっからでてっちゃっとるだよね」。なかなかさびしいはなしだ。いまは豊川市に属するここ赤坂宿も、合併まえは音羽町(おとわちょう)の中心地だって、りっぱな図書館や役所はいまでもあるのに。「みんな、百姓がやりたくないだよね」。ほっか、宿場町にすむひとも百姓やっとるだ。「病院もず~っとあっただけど、いまはたてものがのこっとるだけになっちゃった」。さっきみた洋館の病院だ。ほかに病院はないらしい。「こどもたちがいっしょにすもまい!っていってくれるけど、わたしはここでず~っとやっていくよ」。がんばれ、おかあさん! がんばれ、赤坂宿!

うなぎ屋
20140613 11:55 東海道赤坂宿 - うなぎ屋

(さんこう)