あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

安城古城って しっとる?

安祥城 (あんしょうじょう)は 松平氏の 岡崎 進出 まえの 居城だった ことで 有名だけど、安城古城 (あんじょうこじょう)の ことを しっとる ひとは じもと 安城市 (あんじょうし)の ひとでも ほとんど おらん。ほう いう おれも、うまれて この かた 50年 以上も 安城に おるのに、安城古城が どこに あるか しらんくて、つい さいきん ほの ばしょを しった とこだ。

安城古城 あとは 名鉄 西尾線の 南安城 (みなみあんじょう)と 碧海古井 (へっかいふるい)の あいだに ある。西尾線の にしに 平行して のうめん 道路って いう 幹線 道路が はしっとって、ほの みちの すぐ にしに 安城古城 あとが ある。ただ、クルマからは たけやぶしか みえんくて、ほれが 安城古城 あとだって ことは だあれも しらんって わけだ。 

安城古城 あと 位置図 (あきひこ)
安城古城 あと 位置図 (あきひこ)

ここで ちょっと 安城古城の 歴史を おって みる。

  • 平安 時代は 志貴荘 (しきのしょう)の 荘館だったらしい。
  • 鎌倉 時代は 地頭 安藤氏の 居館だったらしい。
  • 室町 時代は 和田氏 5代の 本拠地だった。
  • 1438年の 東国の 内乱で ある 永享の 乱 (えいきょうの らん)の えいきょうを うけて、1440年に 第5代 和田親平が 安祥城に おしろを うつした ため、安城古城は 廃城と なる。

なるほど、安城古城ってのは 平安 時代の 志貴荘の 時代から、この 地域の 中心だっただね。で、室町 時代に なって 和田親平って いう 城主が おしろを 安祥城に うつした ことで、ほの 歴史を とじた わけだ。

いま ここは 市街化 区域で ありながら うっそうと しげる たけやぶの なかに あり、おとずれる ひとを おどろかせる。のうめん 道路から はいる みちは せばく、クルマも とおれん ぐらいだ。たけやぶの なか、この ほそい みちに 面した こやまに 社口社って いう ちいさな ちいさな おみやさんが あるだけど、こやまの うえの ほこらが わずかに おしろが あった むかしを しのばせる。

いっかい いって みると おもしろいよ。クルマは とめる とこが ないで、あるいて いく ように してね。


(さんこう)