あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

とうげの つなひき 〜兵越峠 (ひょうごし とうげ)〜

長野県と 静岡県の さかいに 兵越峠って いう とうげが ある。


兵越峠 (ひょうごし とうげ) 位置図 (あきひこ)
兵越峠 (ひょうごし とうげ) 位置図 (あきひこ)

むかしの なまえで いうと 長野県 がわが 南信濃村 (みなみしなのむら)、静岡県 がわが 水窪町 (みさくぼちょう)に なり、国道 152号線で つながっとる。って いうか、けんざかいの 青崩峠 (あおくずれ とうげ)ん ところが つながっとらんくて、ここだけ ひがしの 林道に うかいして いかにゃ いかん。だてに 「崩」の 文字は はいっとらん。


で、この 林道が けんざかいを こえる ところが 兵越峠だ。標高 1,165メートル。戦国の むかし、甲斐 (かい)を 発した 信玄が、信濃 まわりに この とうげを こえ、遠江 (とおとうみ)から 三河 (みかわ)に せめいった。


いま、ほの むかしを しのんで、この とうげで つなひき やっとる。


兵越峠の つなひき (ちゅうにち)

遠州軍 惜敗 〜とうげの くにとり つなひき〜 (ちゅうにち)

  • 水窪町の 遠州軍と 南信濃の 信州軍が つなひきで 「領土」を うばいあう 恒例の 「峠の国盗り綱引き合戦」が 2012年 10月 28日、兵越峠で ひらかれた。遠州軍は おしくも やぶれて 通算 12勝 14敗と なり、「くにざかい」は 遠州 がわに 2メートル くいこんで きた。
  • 戦国 武将、武田信玄遠州 ぜめで こえたって いう とうげを 舞台に、1987年から つづく 地域 交流 イベント。2本 先取で 勝利の 3本 勝負で、勝者が くにざかいを あいてがわに 1メートル おしすすめる ことが できる。決戦の あとは くにざかいの たてふだの 移動が あった。
  • ことしは 両軍 10人 ずつで 勝負。1ぽんめに かった 信州軍が、2ほんめも ねばる 遠州軍を しりぞけて 連勝した。こさめ まじりの 天候と なったけど、熱心な 見物客ら 300人が つめかけて 応援でも 合戦を くりひろげた。
  • 遠州軍 総大将の 鈴木康友 浜松 市長は 「つなひき 合戦は 三遠南信 (さんえんなんしん) 連携の あかし」って はなし、信州軍 総大将の 牧野光朗 飯田 市長、行司役を つとめた 有安敬 豊橋市 副市長と 記念 写真に おさまり 交流を ふかめた。

〔※ 写真は 袴田貴資氏 さつえい〕

長野県と 静岡県、国道は つながっとらんくても、ひとと ひととは つながっとる。




(さんこう)