あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほど、いいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、感心したことなんかをかいていくよ

〔南吉 コラム 01〕 南吉と 安城高等女学校 〜広報あんじょうより〜

安城高等女学校 (広報あんじょう)
安城高等女学校 (広報あんじょう)

安城高等女学校 (いまの 安城高校)は、新美南吉が 教師と して 赴任する 1938年より 17年 まえの 1921年に、安城 町立の 女子 中等 教育 機関と して、毛賀知 (けがち)の 地 (いまの 桜町 (さくらまち))に 開校しました。修業 年限は 4年、定員は 各 学年 100人でした。


安城高等女学校の 特色の ひとつに 農業 実習が あります。1935年度の 農業 実習 予定表に よると、ほうれんそう、にんじん、いちごなどの 栽培を はじめ、かいこ 飼育、まわた 製造など、ほの 内容は じつに 多彩です。


農業 実習が 授業に くわえられたのは 1926年から。ほの ころの 安城は にほんの デンマークって よばれる 農業 先進地と して しられて おりました。生徒の 半数が じもと 出身だった 当時、じもとの 理解を えて、存在を みとめられる ためには、農業への 理解を ふかめる 教育が 必要と かんがえられたのです。


南吉が 赴任した 1938年、英語と 国語の ほかに 農業も 担当しとって、大豆の 収穫 作業を する 女学生の ようすを 詳細に ノートに かきしるして おります。


当時は、前年に シナ 事変が はじまった ことも あり、授業にも じょじょに 戦時色が ではじめて おりました。


しかし 1939年 3月に まとめた 生徒 詩集 第2集 『縁側の針』に、南吉は こんな 詩を のせて おります。


新美南吉
新美南吉

私は 少女たちの コーラスの なかに
花束の ような 心を 抱いて 立って いる
少女たちの コーラスは 私を すぎて 流れ
少女たちの コーラスの 届く ところから
ことしの 春が はじまる
(「合唱」より)


安城高等女学校には たくさんの はなが ありました。学年ごとに かだんが あり、生徒たちが 交代で せわを しとったって いいます。南吉も 四季 おりおりの はなを たのしみ、ときには せわに くわわっとった ようです。戦争へと つきすすんだ 時代、さらに 自身の 健康に つねに 不安を いだいとった 南吉に とって、安城高等女学校での ひびは、はるの はなの ように こころを あたためて くれる ものだったのです。


以上、広報あんじょう 2012年 5月 ついたち号より、原文を 修正して 掲載。




(ねたもと、さんこう)