あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

かわいらしい 土偶 発見! ・・・ 滋賀県で にほん 最古級の もの

「土偶」って いうと、あの ゴーグルを はめた 宇宙人の ような 遮光器土偶 (しゃこうきどぐう)の イメージが つよく、はるか むかし 縄文時代の エネルギーを いまに つたえる ものだ。ところが こんかい 滋賀県で、たかさ 1.3センチと いう かわいらしい 土偶が 発見された。しかも、いまから 1万 3,000年 まえと いう にほん 最古級の ものだと いう。「縄文と いえば ひがしにほん」と いう 定説を くつがえす ものでも ある。

女性の 上半身を かたどった にほん 最古級の 縄文時代 草創期の 土偶 (滋賀県 東近江市で)=伊東広路氏 撮影 (よみうり)
女性の 上半身を かたどった にほん 最古級の 縄文時代 草創期の 土偶 (滋賀県 東近江市で) 伊東広路氏 撮影 (よみうり)

最古級の 土偶、東近江市で 出土 ・・・ 従来の 縄文時代観に 一石
縄文時代 草創期、相谷熊原遺跡で

滋賀県 東近江市 (ひがしおうみし)の 相谷熊原遺跡 (あいだにくまはらいせき)で、にほん 最古級と なる 縄文時代 草創期 (約 1万 3,000年 まえ)の 土偶 1点が みつかり、滋賀県文化財保護協会が 5月 29日、発表した。たかさ 3.1センチで、女性の 上半身を 写実的に あらわして おり、縄文人の 精神 世界を さぐる てがかりに なると いう。

滋賀県 東近江市の 相谷熊原遺跡で 出土した、縄文時代 草創期に つくられた 最古級の 土偶は、集落と みられる 竪穴住居 (たてあなじゅうきょ) 5棟の うち 1棟から みつかった。5月 29日に 発表した 滋賀県文化財保護協会に よると、近畿 2府 4県で、この 時期の 集落跡が 確認されたのは はじめて。にしにほんには 縄文時代の 遺跡が すくないと され、未解明な 点が おおかったが、こんかいの 成果は 約 1万 3,000年 まえ、にしにほんでも ゆたかな 精神 世界を もった ひとびとが 定住 生活を おくっとった 可能性を しめし、従来の 縄文時代観に 一石を 投じる ことに なった。

ゆか面が ふかく ほりさげられとった 縄文時代 草創期の 竪穴建物跡 (てまえ、滋賀県 東近江市で)=伊東広路氏 撮影 (よみうり)
ゆか面が ふかく ほりさげられとった 縄文時代 草創期の 竪穴建物跡 (てまえ、滋賀県 東近江市で)=伊東広路氏 撮影 (よみうり)

土偶は、ほぼ 完全な かたちで たかさ 3.1センチ、最大はば 2.7センチ、おもさ 14.6グラム。うでや あしなどは 表現されとらんけど、三重県 松阪市 (まつさかし)の 粥見井尻遺跡 (かゆみいじりいせき)で 出土した 同時期の 土偶 2点と くらべ、より 写実的な 造形で、からだに あつみが あり、乳房や こしの くびれを 明確に 表現しとる。くびに ちいさな あな (直径 約 3ミリ、ふかさ 約 2センチ)が ついた 突起状の 部分が あり、頭部を 表現したか、べつに つくった 頭部 (未発見)を 接合した 痕跡と みられる。そこは たいらに しあげて おり、たたせる ことが できる。

竪穴建物跡は 直径 5メートルから 8メートル、ふかさ 0.6メートルから 1メートル。土偶は この うち、もっとも こだかい ばしょに ある たてもの あとから みつかった。5棟は いずれも 重複しとらん ため、同時期に 存在し、集落を 形成しとった 可能性が たかい。土器の 型式や 放射性炭素年代測定法で 年代が 判明した。

相谷熊原遺跡 (あいだにくまはらいせき)の 位置図 (よみうり)
相谷熊原遺跡 (あいだにくまはらいせき)の 位置図 (よみうり)

縄文時代 草創期の 集落は、全国で 50か所 以上 確認されとるけど、平均 (直径 3メートルから 5メートル、ふかさ 0.3メートルから 0.4メートル)より、ゆか面が ふかかった。松田真一 奈良県橿原考古学研究所付属博物館長は 「多大な 労力を ついやして おり、恒常的に すもうと した あかし。近畿は 他地域より 定住が おくれたと いう みかたを くつがえす 成果だ」と 評価しとる。現地 説明会は 6月 むいか 午前 10時と 午後 1時 半。

泉拓良 京都大学 教授 (考古学)の はなし
「乳房を 強調した 土偶は、定住を はじめた ひとびとが 豊穣 (ほうじょう)や いのちの 再生への ねがいを こめたのだろう。調査 区域を ひろげれば、さらに おおきな 集落に なる 可能性が ある」



かわいらしいとは いえ、土偶の この グラマラスさは やっぱり 縄文だ。弥生に なると 土器なんか やけに すっきりした ものに なっちゃって、縄文の ような ちからづよさが かんじられん。縄文から 弥生、現代と どんな ふうに 歴史が つながって いくのか、または つながらずに 断絶しとるのか、歴史が 解明される ひが まちどおしい。



(さんこう)