あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

ワッカ モーシモシ (アハ 188) (あめーば)

アイヌの ひとたちの、ものの みかたの 一端を 紹介します。



かれらは カムイに とりかこまれ、カムイと かたりあい、カムイと 交流して くらす。


かれらは とりの なきごえに、かぜに ゆれる 木々の ざわめきに、カムイからの メッセージを ききとる。もえあがる ほのおに、ながれる みずに、カムイの 存在を 感じる。


ほのおが 火の カムイの 衣装で ある ように、みずは みずの カムイの 衣装で ある。よる、みずを くむ ときの 呪文と して こんな ことばが ある。


ワッカ モーシモシ。
みずよ おきて ください。

ワッカ カプカラ クス ケクナー。
みずの お着物を いただきに まいりましたよ。

カムイも、よるに なると ねむりに つく。よる、かわへ みずくみに いって、いきなり 手桶を つっこんだり したら、びっくりして とびおきて みずが にごって しまう。


だから、まず こえを かけて みずの カムイを おこし、それから 表面の 着物の 部分を そっと いただいて くるので ある。


中川裕 著 「アイヌ語をフィールドワークする」より



現代では 水道の 蛇口を ひねるだけで、みずは でて きちゃうので、おおかたの ひとは 「みずくみ」を 経験する ことなんか ないけど、アイヌが 「みずくみ」を する ときの ように、「みず」を 「精神が ある もの」と とらえて みるのも ちょっと すてきかなと おもった。


ってか、こどもの ときは いまよりも 「ものを 大切に する」って 気もちが つよかったような 気が する。まぁ、とし くって 感受性が にぶっただけの ことかも しれんけど・・・。




コップの みず のむ ときに いって みようかな・・・

   ワッカ モーシモシ

   みずさん もしもし
                って